見つめて居ると流石に凄い。橋下の水深は、平常《ふだん》二十餘尋。以前は二間もある海の鯊《さめ》がこゝまで上つて來たと云ふ。自然兒のアイヌがさゝげた神居古潭《かむゐこたん》の名も似つかはしく思はれる。
 夕飯後、ランプがついて戸がしまると、深い深い地の底にでも落ちた樣で、川音がます/\耳について寂しい。宿から萩の餅を一盂《ひとはち》くれた。今宵は中秋十五夜であつた。北海道の神居古潭で中秋に逢ふも、他日の思出の一であらう。雨戸を少しあけて見たら、月は生憎雲をかぶつて、朦朧《まうろう》とした谷底を石狩川が唯|颯《さあ》、颯《さあ》と鳴つて居る。

    名寄

 九月十九日。朝|神居古潭《かむゐこたん》の停車場から乘車。金襴の袈裟、紫衣《しえ》、旭川へ行く日蓮宗の人達で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄《なよろ》に向ふ。旭川からは生路《せいろ》である。
 永山《ながやま》、比布《ぴつぷ》、蘭留《らんる》と、眺望《ながめ》は次第に淋しくなる。紫蘇《しそ》ともつかず、麻でも無いものを苅つて畑に乾してあるのを、車中の甲乙《たれかれ》が評議して居たが、薄荷《はつか》だと丙が説明した。
 やがて天鹽《てしほ》に入る。和寒《わつさむ》、劍淵《けんぶち》、士別《しべつ》あたり、牧場かと思はるゝ廣漠たる草地一面霜枯れて、六尺もある虎杖《いたどり》が黄葉美しく此處其處に立つて居る。所謂泥炭地である。車内の客は何れも惜しいものだと舌鼓うつ。
 余放吟して曰く、
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泥炭地耕すべくもあらぬとふさはれ美し虎杖《いたどり》の秋
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 士別では、共樂座など看板を上げた木葉葺《こつぱぶき》の劇場が見えた。
 午後三時過ぎ、現在の終點驛|名寄《なよろ》着。丸石旅館に手荷物を下ろし、茶一ぱい飮んで、直ぐ例の見物に出かける。
 旭川平原をずつと縮めた樣な天鹽川の盆地に、一握りの人家を落した新開町。停車場前から、大通りを鍵の手に折れて、木羽葺が何百か並むで居る。多いものは小間物屋、可なり大きな眞宗の寺、天理教會、清素な耶蘇教會堂も見えた。店頭《みせさき》で見つけた眞桑瓜を買うて、天鹽川に往つて見る。可なりの大川、深くもなさゝうだが、川幅一ぱい茶色の水が颯々《さあ/\》と北へ流れて居る。鐵線《はりがね》を引張つた渡舟がある。余等も渡つて、少し歩いて見る。多いものは
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