流とやら額《ひたひ》のあたりだけ長く後短《うしろみじか》につまれて、まんまと都風《みやこふう》になりすましたれど、潮風に染めし顔の何処までも田舎らしきが笑止なる。よし/\、本来の田舎漢《ゐなかもの》、何ぞ其様な事を気に介《かい》せむや。吾此の大の眼を瞠《みは》りて帝国ホテルに寄り集《つど》ふ限りの淑女紳士を睨《にら》み殺し呉れむず。昔木曾|殿《どの》と云ふ武士もありしを。

    (二)

 車を飛ばして兄の家に着けば、日暮れたり。其れ夕飯《ゆふはん》よ、其れ顔洗ふ湯をとれ、と台所を犇《ひし》めかして、夜会の時間は午後八時、まだ時もあれど用意は早きが宜しと、早速|更衣《かうい》にかゝりぬ。
 兄《けい》、嫂《そう》、阿甥《あせい》、阿姪《あてつ》、書生など三階総出の舞台の中央にすつくと突立《つゝた》つ木強漢(むくつけをとこ)。其れ韈(くつした)をお穿《は》きなさい。韈は穿きぬ。今度は糊のごわ/\したる白胸《しろむね》シヤツを頭からすつぽりかぶされて、ぐわさぐわさと袖を通せば是はしたり袖《そで》、拳《こぶし》を没すること三四寸。
「まあ、如何しませう」
「縫《ぬひ》あげするさ」
「一寸と糸を持つて御出」
 腕を※[#「宛+りっとう」、第4水準2−3−26]《えぐ》つて毒箭《どくや》の毒をぬかせた関羽《くわんう》もどきに、小生はぽかんと立つてぬつと両手を出して居れば、阿姪《あてつ》が笑ひ/\縫い上げをなし終りぬ。シヤツの肩上げは済みたり。いでカラアの釦鈕《ボタン》をはめむとするに、手の短いかはりに、頸《くび》は大きく、容易に篏《はま》らず。幸なるかな、書生君は柔術の達人なれば、片手に咽《のど》をしめ、片手にカラアをひいて、頸はやう/\カラアに入りぬ。此間小生は唯運を天に任し、観念の眼《まなこ》を瞑《ねぶ》つて、屠《ほふ》られむとする羊の如く彳《たたず》みたり。
 あとはネクタイ、ズボン、胴衣《チヨツキ》、上衣《コート》、と苦もなく着せられ、白の手套《てぶくろ》は胸のポツケツトに半分出して入れて置くものと教へられて、此れで装束は一先づ成りぬ。
「立派々々、其れ鏡」と見せらるゝ鏡の中を覗けば、顕《あらは》れたり一個の紳士、真黒羅紗《まつくろらしや》の間より雪とかゞやき出でたる白シヤツに赤黒の顔のうつりも怪しく、満面に汗ばみて、咽《のど》のあたり赤き擦傷《すりきず》(盖《け
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