き》に居た男はうたれて即死、而して艫《とも》に居た男は無事だった、と云う事を報じた。
「一人はとられ、一人は残さるべし」の句がまた彼の頭に浮んだ。
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     月見草

 村の人になった年《とし》、玉川の磧《かわら》からぬいて来た一本の月見草が、今はぬいて捨てる程に殖《ふ》えた。此頃は十数株、少《すくな》くも七八十輪|宵毎《よいごと》に咲いて、黄昏《たそがれ》の庭に月が落ちたかと疑われる。
 月見草は人好きのする花では無い。殊《こと》に日間《ひるま》は昨夜の花が赭《あか》く凋萎《しお》たれて、如何にも思切りわるくだらりと幹《みき》に付いた態《ざま》は、見られたものではない。然し墨染《すみぞめ》の夕に咲いて、尼《あま》の様に冷たく澄んだ色の黄、其《その》香《か》も幽に冷たくて、夏の夕にふさわしい。花弁《はなびら》の一つずつほぐれてぱっと開く音も聴くに面白い。独物思うそゞろあるきの黄昏に、唯一つ黙って咲いて居る此花と、はからず眼を見合わす時、誰か心跳《こころおど》らずに居られようぞ。月見草も亦心浅からぬ花である。
 八九歳の弱い男の子が、ある城下の郊外の家《うち》から、川添
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