しは村に根を下《おろ》したかと思う。

       三

 少しはと儂は云うた。実は六年村に住んでもまだ村の者になり切れぬのである。固有の背水癖で、最初|戸籍《こせき》までひいて村の者になったが、過る六年の成績を省《かえりみ》ると、儂自身もあまり良い村民であったと断言は出来ない。吉凶の場合、兵隊送迎は別として、村の集会なぞにも近来滅多に出ぬ。村のポリチックスには無論超然主義を執る。燈台下暗くして、東京近くの此村では、青年会が今年はじめて出来、村の図書館は一昨年やっと出来た。儂は唯傍観して居る。郡教育会、愛国婦人会、其他一切の公的性質を帯びた団体加入の勧誘は絶対的に拒絶する。村の小さな耶蘇教会にすらも殆《ほとん》ど往《い》かぬ。昨年まで年に一回の月番役を勤めたが、月番の提灯を預《あずか》ったきりで、一切の事務は相番《あいばん》の肩に投げかけるので、皆迷惑したと見えて、今年から月番を諭旨免職になった。儂自身の眼から見る儂は、無月給の別荘番、墓掃除せぬ墓守、買って売る事をせぬ植木屋の亭主、位なもので、村の眼からは、儂は到底一個の遊び人である。遊人の村に対する奉公は、盆正月に近所の若い者や女
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