八年前の十一月初めて奈良に来た夕《ゆうべ》、三景楼の二階から紺青《こんじょう》にけぶる春日山に隣りして、貂《てん》の皮もて包んだ様な暖かい色の円満《ふっくら》とした嫩草山の美しい姿を見た時、余の心は如何様《どんな》に躍《おど》ったであろう。丁度|誂《あつら》えたように十五夜のまん丸な月が其上に出て居た。然し其時は遽《あわ》たゞしい旅、山に上るも果《はた》さなかった。今はじめて其|懐《ふところ》を辿《たど》るのである。
 霜枯《しもが》れそめた矮《ひく》い薄《すすき》や苅萱《かるかや》や他の枯草の中を、人が踏みならした路が幾条《いくすじ》か麓《ふもと》から頂《いただき》へと通うて居る。余等は其一を伝うて上った。打見たよりも山は高く、思うたよりも路は急に、靴の足は滑りがちで、約十五分を費やして上り果てた時は、額《ひたい》も背《せな》も汗《あせ》ばんで居た。頂はやゝ平坦《へいたん》になって、麓からは見えなかった絶頂が、まだ二重になって背《うしろ》に控《ひか》えて居る。唯一つある茶店は最早《もう》店をしまいかけて、頂には遊客《ゆうかく》の一人もなかった。
 余等《よら》は額の汗を拭《ぬぐ》うて
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