斯《こう》申上げると最早《もう》御分かりになりましょうが」
 最初は途切れ/\に、あとは次第に調子づいて、盈《み》ちた心を傾くる様に彼は熱心に話した。
 彼は埼玉《さいたま》の者、養子であった。繭《まゆ》商法に失敗して、養家の身代を殆《ほと》んど耗《す》ってしまい、其恢復の為朝鮮から安東県に渡って、材木をやった。こゝで妻子を呼び迎えて、暫《しばらく》暮らして居たが、思わしい事もないので、大連《だいれん》に移った。日露戦争の翌年の秋である。大連に来て好い仕事もなく、満人臭《まんざくさ》い裏町にころがって居る内に、子供を亡《な》くしてしまった。
「可愛いやつでした。五歳《いつつ》でした、女児《おんなのこ》でしたがね、其《そ》れはよく私になずいて居ました。国に居た頃でも、私が外から帰って来る、母や妻《かない》は無愛想でしても、女児《やつ》が阿爺《とうさん》、阿爺と歓迎して、帽子《ぼうし》をしまったり、其《そ》れはよくするのです。私も全《まった》く女児を亡くしてがっかりしてしまいました。病気は急性肺炎でしたがね、医者に駈けつけ頼むと、来ると云いながら到頭来ません。其内息を引きとってしまったンで
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