》します。鮮人騒ぎは如何でした? 私共の村でもやはり騒ぎました。けたたましく警鐘が鳴り、「来たぞゥ」と壮丁の呼ぶ声も胸を轟かします。隣字の烏山では到頭労働に行く途中の鮮人を三名殺してしまいました。済まぬ事|羞《はず》かしい事です。
斯様《こん》な中にもうれしい事はやはりありました。粕谷の人々が相談して、九月の六日に水瓜、玉蜀黍《とうもろこし》、茄子《なす》、夏大根、馬鈴薯《じゃがいも》などを牛車十一台に満載《まんさい》して、東京へお見舞をしました。村の青年達がきりっとした装《なり》をして左腕に一様に赤い布を巻き、牛車毎に「千歳村青年会粕谷支部」と書いた紙札を押立て、世話方数名附添うて、朝早く粕谷から練《ね》り出した時、私は思わず青年会の万歳を三唱しました。慰問隊は専ら麹町区に活動して、先方の青年団の協力の下に、水瓜を截《き》り、馬鈴薯をつかみ、手ずから罹災の人々に頒《わか》ち、玄米と味噌で五日過した人々を「生き返える」と悦ばしたそうです。其報告が私共を喜ばせました。斯くてこそ田舎、十七年前都落ちした私共も都に会わす顔があります。
中一日置いて、九月の八日には千歳村全体から牛車六十台
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