れるものも却て食う。般若心経《はんにゃしんきょう》に所謂、不増不減不生不滅不垢不浄、宇宙の本体は正に此である。
 然し我等は人間である。差別界《しゃべつかい》に住んで居る。煩悩《ぼんのう》もある。愚痴《ぐち》もある。我等は精神的に生きんと欲する如く、肉体の命も惜しい。吾情を以て他を推す時、犠牲《ぎせい》の叫《さけ》びは聞きづらい。
 ダァヰン[#「ダァヰン」に傍線]の兄弟分ワレース[#「ワレース」に傍線]博士は、蛇にのまるゝ蛙《かわず》は苦しい処ではない、一種の温味《おんみ》にうっとりとなって快感《かいかん》を以て蛇の喉《のど》を下るのだ、と云うた。大役《たいえき》小志《しょうし》の志賀氏は、旅順戦役を描《か》いて、決死の兵士は精神的《せいしんてき》高調《こうちょう》に入って、所謂苦痛なるものを大《たい》して感じない、と云って居る。如何にも道理で、また事実さもあろうと思わるゝ。
 然し我々は人間である。犠牲の声は聞きづらい。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月二十日)
[#改ページ]

     蜩

 今年の自家《うち》の麦は、大麦も小麦も言語道断の不作だ。仔細は斯様《こう》で
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