気味わるい経験もした。ある時彼が縁に背向《そむ》けて読書して居ると、後《うしろ》に撞《どう》と物が落ちた。彼はふりかえって大きな青大将《あおだいしょう》を見た。葺《ふ》きっぱなしの屋根裏の竹に絡《から》んで衣《から》を脱ぐ拍子に滑り落ちたのである。今一尺縁へ出て居たら、正《まさ》しく彼が頭上に蛇が降《ふ》るところであった。
人烟稀薄な武蔵野《むさしの》は、桜が咲いてもまだ中々寒かった。中塗《なかぬり》もせぬ荒壁は恣《ほしいまま》に崩れ落ち、床の下は吹き通し、唐紙障子《からかみしょうじ》も足らぬがちの家の内は、火鉢の火位で寒さは防げなかった。農家の冬は大きな炉《ろ》が命《いのち》である。農家の屋内生活に属する一切の趣味は炉辺に群がると云っても好い。炉の焚火《たきび》、自在《じざい》の鍋は、彼が田園生活の重《おも》なる誘因《ゆういん》であった。然し彼が吾有にした十五坪の此草舎には、小さな炉は一坪足らぬ板の間に切ってあったが、周囲《あたり》が狭《せま》くて三人とは座《すわ》れなかった。加之《しかも》其処は破れ壁から北風が吹き通し、屋根が低い割に炉が高くて、熾《さかん》な焚火は火事を覚悟しな
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