。颯々《さあさあ》――颯々と云う音。はっとして余は耳を立てた。松風《まつかぜ》か。否《いや》、松風でない。峰の嵐でもない。水声《すいせい》である。余は耳を澄ました。何と云う爽《さわやか》な音か。此世の声で無い。確に別天地から通《かよ》うて来る、聴くまゝに耳澄み心澄み魂も牽き入れらるゝ様ななつかしい音《ね》である。人夫にきくと、果して斗満川《とまむがわ》であった。やがて道は山側《やまばた》をめぐってだら/\下りになった。水声の方からぱっと火光《あかり》がさす。よく見れば右側山の手に家がある。道の左側にも家がある。人の話声《はなしごえ》がして止んだ。此だな、と思って音なわすと、道側の矮《ひく》い草葺の中から真黒な姿がぬっと出て「東京のお客さんじゃありませんか。御隠居が毎日御待兼ねです」と云って、先に立って案内する。水声に架《か》す橋を渡って、長方形の可なり大きな建物に来た。導かるゝまゝにドヤ/\戸口から入ると、眩《まぶ》しい洋燈《らんぷ》の光に初見の顔が三つ四つ。やがて奥から咳払《せきばら》いと共に爺さんが出て来た。
「おゝ鶴坊来たかい。よく来た。よく来た」

           *


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