Virgin Soil を要しない。要するに東京の尻を田舎が拭《ぬぐ》う。田舎でも金もちが吾儘をして、貧しい者が後尻《あとしり》を拭うにきまって居る。何処までも不浄取りが貧しい農の運命である。
神は一大農夫である。彼は一切の汚穢《おかい》を捨てず、之を摂取し、之を利用する。神程|吝嗇爺《けちおやじ》は無い。而して神程|太腹《ふとっぱら》の爺も無い。彼に於ては、一切の不潔は、生命を造る原料である。所謂不垢不浄、「神の潔めたるものを爾|浄《きよ》からずとするなかれ」一切のものは土に入りて浄まる。自然は一大浄化場である。自《おのずか》ら神心に叶う農の不浄観について、我等は学ぶ所なくてはならぬ。
生命は共通である。潔癖は吾儘者の鄙吝《けち》な高慢である。
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美的百姓
彼は美的百姓である。彼の百姓は趣味の百姓で、生活の百姓では無い。然し趣味に生活する者の趣味の為の仕事だから、生活の為と云うてもよい。
北米の大説教家ビーチアル[#「ビーチアル」に傍線]は、曾て数塊の馬鈴薯を人に饗《きょう》して曰くだ、此は吾輩の手作だ、而して一塊一|弗《ドル》はかゝって居るのだ
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