、案内を請う彼の声に出て来た。会堂を借りて住んで居る人なので、一切の世話をする石山氏の宅は直ぐ奥だと云う。彼等は導かれて石山氏の広庭に立った。トタン葺《ぶき》の横長い家で、一方には瓦葺の土蔵《どぞう》など見えた。暫《しばら》くすると、草鞋ばきの人が出て来た。私が石山《いしやま》八百蔵《やおぞう》と名のる。年の頃五十余、頭の毛は大分|禿《は》げかゝり、猩々《しょうじょう》の様な顔をして居る。あとで知ったが、石山氏は村の博識《ものしり》口利《くちきき》で、今も村会議員をして居るが、政争の劇《はげ》しい三多摩の地だけに、昔は自由党員で壮士を連れて奔走し、白刃の間を潜《くぐ》って来た男であった。推参《すいさん》の客は自ら名のり、牧師の紹介《しょうかい》で会堂を見せてもらいに来たと云うた。石山氏は心を得ぬと云う顔をして、牧師から何の手紙も来ては居ぬ、福富儀一郎と云う人は新聞などで承知をして居る、また隣村の信者で角田勘五郎と云う者の姉が福富さんの家に奉公して居たこともあるが、尊名は初めてだと、飛白《かすり》の筒袖羽織、禿《ち》びた薩摩下駄《さつまげた》、鬚髯《ひげ》もじゃ/\の彼が風采《ふうさい》
前へ
次へ
全684ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング