寺があるので、時々は哀しい南無阿弥陀《なむあみだ》ァ仏《ぶつ》の音頭念仏に導かれて葬式が通る。
 街道は此丘を東に下りて、田圃を横ぎり、また丘に上って、東へ都《みやこ》へと這って行く。田圃をはさむ南北の丘が隣字の船橋《ふなばし》で、幅四丁程の此田圃は長く世田ヶ谷の方へつゞいて居る。田圃の遙《はるか》東に、いつも煙が幾筋か立って居る。一番南が目黒の火薬製造所の煙で、次が渋谷の発電所、次ぎが大橋発電所の煙である。一度東京から逗留《とうりゅう》に来た幼《おさ》ない姪《めい》が、二三日すると懐家病《ホームシック》に罹って、何時《いつ》も庭の端に出ては右の煙を眺めて居た。五月雨《さみだれ》で田圃が白くなり、雲霧《くもきり》で遠望が煙にぼかさるゝ頃は、田圃の北から南へ出る岬《みさき》と、南から北へと差出る※[#「山+鼻」、第4水準2−8−70]《はな》とが、宛《さ》ながら入江を囲《かこ》む崎の如く末は海かと疑われる。廻沢《めぐりさわ》と云い、船橋と云い、地形から考えても、昔は此田圃は海か湖《みずうみ》かであったろうと思われる。

       五

 谷から向うの丘《おか》にかけて、麦と稲とが彼の
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