拳固で打破って川に投げ込んで素知《そし》らぬ顔して居たり、悪戯《いたずら》ばかりして居た。十六七の際には、学業不勉強の罰とあって一切書籍を取上げられ、爾後養蚕専門たるべしとの宣告の下に、近所の養蚕家に入門せしめられた。其家には十四になる娘があったので、当座は真面目に養蚕|稽古《げいこ》もしたが、一年足らずで嫌になってズル/\にやめて了うた。但右の養蚕家入門中、桑を切るとて大きな桑切庖丁を左の掌《てのひら》の拇指《おやゆび》の根にざっくり切り込んだ其|疵痕《きずあと》は、彼が養蚕家としての試みの記念《きねん》として今も三日月形に残って居る。
斯様な記憶から、趣味としての田園生活は、久しく彼を引きつけて居たのであった。
三
青山高樹町の家《うち》をぶらりと出た彼等夫婦は、まだ工事中の玉川電鉄の線路を三軒茶屋まで歩いた。唯有《とあ》る饂飩屋《うどんや》に腰かけて、昼飯がわりに饂飩を食った。松陰神社で旧知《きゅうち》の世田ヶ谷往還を世田ヶ谷|宿《しゅく》のはずれまで歩き、交番に聞いて、地蔵尊《じぞうそん》の道しるべから北へ里道に切れ込んだ。余程往って最早《もう》千歳村《ち
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