ちん》もつけず、更らに路を択《えら》ばず、ザブ/\泥水を渉《わた》って帰った。新宿から一里半も来た頃、真闇な藪陰《やぶかげ》で真黒な人影に行合うた。彼方はずうと寄って来て、顔をすりつける様にして彼を覗《のぞ》く。彼は肝を冷やした。
「君は誰《だれ》だ?」
先方から声をかけた。彼は住所姓名を名乗った。而して「貴君《あなた》は?」ときいた。
「刑事です。大分晩く御帰りですな」
八幡近くまで帰って来ると、提灯ともして二三人下りて来た。彼の影を見て、提灯はとまったが、透かして見て「福富さんだよ」と驚いた様な声をして行き過ぎた。此は八幡山の人々であった。先日八幡山及粕谷の若者と烏山の若者の間に喧嘩があって、怪我人なぞ出来た。其のあとがいまだにごたごたして居るのだ。
帰ると、一時過ぎて居た。
*
其後梁川君の遺文寸光録が出た。彼の名がちょい/\出て居る。彼の事を好く云うてある。総じて人は自己の影を他人に見るものだ。梁川君が彼にうつした己が影に見惚《みと》れたのも無理はない。
梁川君が遺文の中、病中唯一度母君に対してやゝ苛※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《かれい》の言を漏らしたと云って、痛恨して居る。若し其れをだに白璧の微瑕と見るなら、其白璧の醇美は如何であろう。彼の様な汚穢な心と獣的行の者は慙死《ざんし》しなければならぬ。
*
梁川君の訃《ふ》に接した其日井底に落ちた柄杓は、其の年の暮|井浚《いどさら》えの時上がって来た。
然し彼は彼の生前に於て宇宙の那辺《なへん》にか落したものがある。彼は彼の生涯を献《ささ》げて、天の上、地の下、火の中、水の中、糞土の中まで潜《もぐ》っても探し出ださねばならぬ。梁川君は端的《たんてき》に其求むるものを探し当てゝ、堂々と凱旋し去った。鈍根《どんこん》の彼はしば/\捉《とら》え得たと思うては失い、攫《つか》んだと思うては失い、今以て七転八倒の笑止な歴史を繰り返えして居る。但一切のもの実は大能掌裡の筋斗翻《とんぼがえり》に過ぎぬので人々皆通天の路あることを信ずるの一念は、彼が迷宮の流浪《さすらい》に於ける一の慰めである。
[#改ページ]
梅一輪
一
「お馨《けい》さんの梅が咲きましたよ」
斯く妻が呼ぶ声に、彼は下駄を突っかけて、植木屋の庭の様に無暗《むやみ》に樹木を植え込んだ園内を歩いて、若木《わかき》の梅の下に立った。成程咲いた、咲いた。青軸《あおじく》また緑萼《りょくがく》と呼ばるゝ種類の梅で、花はまだ三四輪、染めた様に緑な萼《がく》から白く膨《ふく》らみ出た蕾《つぼみ》の幾箇を添えて、春まだ浅い此の二月の寒を物ともせず、ぱっちりと咲いて居る。極《きょく》の雪の様にいさゝか青味を帯びた純白の葩《はなびら》、芳烈《ほうれつ》な其香。今更の様だが、梅は凜々《りり》しい気もちの好い花だ。
白っぽい竪縞《たてじま》の銘仙の羽織、紫紺《しこん》のカシミヤの袴、足駄を穿《は》いた娘が曾て此梅の下に立って、一輪の花を摘んで黒い庇髪《ひさし》の鬢《びん》に插した。お馨さん――其娘の名――は其年の夏亜米利加に渡って、翌年まだ此梅が咲かぬ内に米国で亡くなった。
其れ以来、彼等は此梅を「お馨さんの梅」と呼ぶのである。
二
米国の画家ヂャルヂ、ヘンリー、バウトン[#「ヂャルヂ、ヘンリー、バウトン」に傍線]の描《か》いた「メェフラワァの帰り」と云う画がある。メェフラワァは、約三百年前、信仰、生活の自由を享《う》けん為に、欧洲からはる/″\大西洋を越えて、亜米利加の新大陸に渡った清教徒の一群《いちぐん》ピルグリム、ファザァスが乗った小さな帆前船《ほまえせん》である。画は此船が任務を果してまた東へ帰り去る光景を描《えが》いた。海原の果には、最早《もう》小さく小さくなった船が、陸から吹く追手風《おいて》に帆を張って船脚《ふなあし》軽く東へ走って居る。短い草が生えて、岩石の処々に起伏した浜にはピルグリムの男女の人々が、彼処に五六人、此処に二三人、往く船を遙に見送って居る。前景《ぜんけい》に立つ若い一対《いっつい》の男女は、伝説のジョン、アルデン[#「ジョン、アルデン」に傍線]とメーリー、チルトン[#「メーリー、チルトン」に傍線]ででもあろうか。二人共まだ二十代の立派な若い同士。男は白い幅濶《はばひろ》の襟をつけた服を着て、ステッキをついた左の手に鍔広《つばひろ》のピュリタン帽を持つ右の手を重ね、女は雪白《せっぱく》のエプロンをかけて、半頭巾《ボンネット》を冠り、右の手は男の腕に縋《すが》り、半巾《はんかち》を持った左の手をわが胸に当てゝ居る。二人の眼はじっと遠ざかり行くメェフラワァ号の最後の影に注《そそ》がれ
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