は南向きの日暖かに風も来ぬので、隣の墓守がよくやって来ては、乾いた落葉を踏んで、其処に日なたぼこりをしながら、取りとめもない空想に耽《ふけ》る。

       三

 田舎でも人が死ぬ。彼が村の人になってから六年間に、唯二十七戸の小村で、此墓場にばかり葬式の八つもした。多くは爺さん婆さんだが、中には二八の少女も、また傷《いた》い気の子供もあった。
 ある爺さんは八十余で、死ぬる二日前まで野ら仕事をして、ぽっくり往生した。羨《うらや》ましい死に様である。ある婆さんは、八十余で、もとは大分難義もしたものだが辛抱《しんぼう》しぬいて本家分家それ/″\繁昌《はんじょう》し、孫《まご》曾孫《ひこ》大勢持って居た。ある時分家に遊びに来て帰途《かえりみち》、墓守が縁側に腰かけて、納屋大小家幾棟か有って居ることを誇ったりしたが、杖《つえ》を忘れて帰って了うた。其杖は今カタミになって、墓守が家の浴室《ゆどの》の心張棒になって居る。ある爺さんは、困った事には手が長くなる癖があった。さまで貧でもないが、よく近所のものを盗んだ。野菜物を採る。甘藷を掘る。下肥を汲む。木の苗を盗む。近所の事ではあり、病気と皆が承知して居るので、表沙汰にはならなかったが、一同《みんな》困り者にして居た。杉苗《すぎなえ》でもとられると、見附次第黙って持戻《もちもど》ったりする者もあった。此れから汁の実なぞがなくならずにようござんしょう、と葬式の時ある律義な若者が笑った。さる爺さんは、齢《とし》は其様《そん》なでもなかったが、若い時の苦労で腰が悉皆|俛《かが》んで居た。きかぬ気の爺さんで、死ぬるまで※[#「人べん+爾」、第3水準1−14−45]《おまえ》に世話はかけぬと婆さんに云い云いしたが、果して何人の介抱《かいほう》も待たず立派に一人で往生した。其以前、墓守が家の瓜畑《うりばたけ》に誰やら入込んでごそ/\やって居るので、誰かと思うたら、此爺さんが親切に瓜の心《しん》をとめてくれて居たのであった。よく楢茸《ならたけ》の初物だの何だの採《と》っては、味噌漉《みそこ》しに入れて持って来てくれた。時には親切に困ることもあった。ある時畑の畔《くろ》の草を苅ってやると云って鎌《かま》を提《さ》げて来た。其畑の畔には萱《かや》薄《すすき》が面白く穂に出て、捨て難い風致《ふうち》の径《こみち》なので其処だけわざ/\草を苅らずに置いたのであった。其れを爺さんが苅ってやると云う。頭を掻いて断わると、親切を無にすると云わんばかり爺さんむっとして帰って往ったこともある。最早《もう》楢茸が出ても、味噌漉しかゝえて、「今日は」と来る腰の曲った人は無い。

       四

 燻炭《くんたん》肥料《ひりょう》と云う事が一時はやって、芥屑《ごみくず》を燻焼《くんしょう》する為に、大きな深い穴が此処其処に掘られた。其穴の傍で子を負った十歳の女児《むすめ》と六歳になる女児が遊んで居たが、誤って二人共穴に落ちた。出ることは出たが、六になる方は大火傷《おおやけど》をした。一家残らず遠くの野らへ出たあとなので、泣き声を聞きつける者もなく、十歳になる女児《むすめ》は叱《しか》られるが恐《こわ》さに、火傷した女児を窃《そっ》と自家《うち》へ連れて往って、火傷部に襤褸《ぼろ》を被《かぶ》せて、其まゝにして置いた。医者が来た頃は、最早手後れになって居た。墓守が見舞に往って見ると、煎餅《せんべい》の袋なぞ枕頭に置いて、アアン※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]|幽《かす》かな声でうめいて居た。二三日すると、其父なる人が眼に涙を浮めて、牛乳屋が来たら最早|牛乳《ちち》は不用《いらん》と云うてくれと頼みに来た。亡くなったのである。此辺では、墓守の家か、博徒の親分か、重病人でなければ牛乳など飲む者は無い。火傷した女児は、瀕死の怪我で貴い牛乳を飲まされたのである。父なる人は神酒《みき》に酔うて、赤い顔をして頭を掉《ふ》る癖《くせ》がある人である。妙に不幸な家で、先にも五六歳の女児が行方不明で大騒《おおさわ》ぎをした後、品川堀から死骸になって上ったことがある。火傷した女児の低いうめき声と、其父の涙に霑《うる》んだ眼は、いつまでも耳に目にくっついて居る。
 牛乳と云えば、墓守の家から其家へとしばらく廻って居た配達が、最早其方へは往かなくなった。牛乳をのんで居た娘は、五月の初に亡くなったのである。墓守夫婦が村の人になった時、彼女は十一であった。体《からだ》を二ツ折にしてガックリお辞儀するしゃくんだ顔の娘を、墓守夫婦は何時となく可愛がった。九人の兄弟姉妹の真中《まんなか》で、あまり可愛がられる方ではなかった。可愛がられる其妹は、姉の事を云って、「おやすさんな叱られるクセがある」と云
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