った。やゝ陰気な、然し情愛の深い娘だった。墓守の家に東京から女の子が遊びに来ると、「久《ひい》ちゃん」「お安さん」とよく一緒に遊んだものだ。彼女も連れて玉川に遊びに往ったら、玉川電車で帰る東京の娘を見送って「別れるのはつらい」と黯然《あんぜん》として云った。彼女は妙に不幸な子であった。ある時村の小学校の運動会で饌立《ぜんだて》競走《きょうそう》で一着になり、名を呼ばれて褒美《ほうび》を貰ったあとで、饌立の法が違って居ると女教員から苦情が出て、あらためて呼び出され、褒美を取り戻された。姉が嫁したので、小学校も高等を終えずに下り、母の手助《てだすけ》をした。間もなく彼女は肺が弱くなった。成る可く家の厄介になるまいと、医者にも見せず、熟蚕《しき》を拾ったり繭を掻いたり自身働いて溜めた巾着の銭で、売薬を買ったりして飲んだ。
 去る三月の事、ある午後墓守一家が門前にぶらついて居ると、墓地の方から娘が来る。彼女であった。「あゝお安さん」と声をかけつゝ、顔を見て喫驚《びっくり》した。其処の墓地の石の下から出て来たかと思わるゝ様な凄《すご》い黯《くら》い顔をして居る。「あゝ気分が悪いのですね、早く帰ってお休み」と妻が云うた。気分が悪くて裁縫《さいほう》の稽古から帰って来たのであった。彼女は其れっきり元気には復さなかった。彼女の家では牛乳をとってのませた。彼女の兄は東京に下肥引きに往った帰りに肴《さかな》を買って来ては食わした。然し彼女は日々衰えた。遠慮勝の彼女は親兄弟にも遠慮した。死ぬる二三日前、彼女はぶらりと起きて来て、産後の弱った体で赤ん坊を見て居る母の背《うしろ》に立ち、わたしが赤ん坊を見て居るから阿母《おっかさん》は少しお休みと云うた。死ぬる前日は、父に負われて屋敷内を廻ってもらって喜んだ。其翌日も父は負って出た。父が唯一房咲いた藤の花を折ってやったら、彼女は枕頭《まくらもと》の土瓶に插して眺めて喜んだ。其夜彼女は父を揺《ゆ》り起し、「わたしが快《よ》くなったら如何でもして恩報じをするから、今夜は苦艱《くげん》だから、済まないが阿爺さん起きて居てお呉れ、阿母《おっかさん》は赤ん坊や何かでくたびれきって居るから」と云うた。而して翌朝到頭息を引取った。彼女は十六であった。彼女の家は、神道《しんどう》禊教《みそぎきょう》の信徒で、葬式も神道であった。兄の二人、弟の一人と、姉婿が棺側に附いて、最早墓守夫妻が其亡くなった姉をはじめて識った頃の年頃《としごろ》になった彼女の妹が、紫の袴をはいて位牌を持った。六十前後の老衰した神官が拍手《かしわで》を打って、「下田安子の命《みこと》が千代の住家と云々」と祭詞を読んだ。快くなったら姉の嫁した家へ遊びに行くと云って、彼女は晴衣を拵《こさ》えてもらって喜んで居たが、到頭其れを着る機会もなかった。棺の上には銘仙の袷《あわせ》が覆《おお》うてあった。其棺の小さゝを見た時、十六と云う彼女の本当にまだ小供であったことを思うた。赤土を盛った墓の前には、彼女が常用の膳の上に飯を盛った茶碗、清水を盈《み》たした湯呑なぞならべてあった。墓が近いので、彼女の家の者はよく墓参に来た。墓守の家の女児も時々園の花を折って往って墓に插《さ》した。三年前砲兵にとられた彼女の二番目の兄は、此の春肩から腹にかけて砲車に轢《ひ》かれ、已に危い一命を纔《わずか》にとりとめて先日めでたく除隊《じょたい》になって帰った。「お安さんは君の身代りに死んだのだ、懇《ねんごろ》に弔うて遣り玉え」墓守は斯く其の若者に云うた。

       五

 墓地が狭いので、新しい棺は大抵古い骨の上に葬る。先年村での旧家の老母を葬る日、墓守がぶらりと墓地に往って見たら、墓掘り役の野ら番の一人が掘り出した古い髑髏《されこうべ》を見せて、
「御覧なさい、頬の格好が斯《こ》う仁左衛門さんに肖てるじゃありませんか。先祖ってえものは、矢張り争われないもんですな」
と云うた。泥まみれの其の髑髏は、成程頬骨の張り方が、当主の仁左衛門さんそっくりであった。土から生れて土に働く土の精、土の化物《ばけもの》とも云うべき農家の人は、死んで土になる事を自然の約束として少しも怪むことを為《し》ない。ある婆さんを葬る時、村での豪家と立てられる伊三郎さんが、野ら番の一人でさっさと赤土を掘りながら、ホトケの息子《むすこ》の一人に向い、
「でも好い時だったな、来月になると本当に忙しくてやりきれンからナ」と極めて平気で云うて居た。息子も平気で頷《うなず》いて居た。死人の手でも借りたい程忙しい六七月に葬式があると、事である。村の迷惑になるので、小供の葬式は、成るべくこっそりする。ある夜、墓守が外から帰って来ると、墓地に一点の火光《あかり》が見える。やゝ紅《あか》い火である。立とまってじいと見て居た彼は
前へ 次へ
全171ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング