14−87]《うん》」と久さんは答えて、のそり/\檐下《のきした》から引き出して、二握三握一つにして、トンと地につき揃《そろ》えて、無雑作《むぞうさ》に小麦からで縛《しば》って、炬火をこさえた。
「まだかな」先刻《さっき》から焦々《いらいら》して居る辰爺さんが大声に唸《つぶ》やく。
「今本膳が出てる処だからな」母屋の方を見ながら一人が辰さんを宥《なだ》める。
「それはソウと、上祖師《かみそし》ヶ谷《や》の彦さんは分ったかな」
「分からねえとよ。中隊でも大騒ぎして、平服で出る、制服で出る、何でも空井戸《からいど》を探してるちゅうこンだ」
「窘《いじ》められたンですかね?」
「ナニ、中隊では評判がよかったンですよ。正直でね」
「正直者が一番|危《あぶ》ねえだ。少し時間に後《おく》れたりすると、直ぐ無分別をやるからな」
「違えねえ」
皆一寸黙った。
辰爺さんは、美的百姓に大きな声で囁《ささ》やいた。「岩もね、上等兵の候補者になりましたってね」
「然《そう》かね。岩さんは何処に往っても可愛がられる男だよ」
「毎月ね、」辰爺さんは声を落して囁いた。「毎月ね、三|円《りょう》宛《ずつ》やりますよ。それから兄の所から三|円《りょう》宛ね、くれますよ。ソレ小遣《こづかい》が足りねえと、上祖師ヶ谷の様にならァね」
「月に六円宛、其れは大変だね」
「岩もね、其当座は腹が減って困ったてこぼして居ましたっけ。何《なん》しろ麦飯の七八|杯《はい》もひっかけて居ったンだからね。酒保《しゅほ》に飛んで行き/\したって話してました。今じゃ大きに楽《らく》になったってますよ。最早《もう》あと一年半で帰《けえ》って来ますだよ」
農家から大切な働き男を取って、其上間接に小使としての税金を金の乏しい農村から月々六円もとる兵役と云うものについて、美的百姓は大に考えざるを得なかった。
五
母屋では、最早《もう》仕度が出来たと見え、棺が縁の方に舁《か》き出された。柿の木の下では、寝た者も起き、総立になった。手々《てんで》に白張提灯を持ったり、紙の幟《はた》を握ったり、炬火《たいまつ》をとったりした。辰爺さんはやおら煙草入を腰に插して鉦《かね》と撞木《しゅもく》をとった。
「旗が先に行くかね、提灯《ちょうちん》かね?」
「冥土《めいど》の案内じゃ提灯が先だんべ」
「東京じゃ旗が先きに行くようだね、ねえ先生」
「東京は東京、粕谷は粕谷流で行こうじゃねえか」と誰やらの声。
「炬火が一番先だよ」
「応、然《そう》だ、炬火が一番先だ」
白無垢《しろむく》を着た女達が、縁から下りて草履をはいた。其草履は墓地でぬぎ棄てるので、帰途《かえり》の履物《はきもの》がいる。大きな目籠《めかご》に駒下駄も空気草履も泥だらけの木履も一つにぶち込んで、久さんが背負《せお》って居る。
「南無阿弥陀《なむあみだ》ァ仏《ぶつ》」
辰爺さんが音頭《おんど》をとりながら先に立つ。鉦がガァンと鳴る。講中《こうじゅう》が「南無阿弥陀ァ仏」と和する。鉦、炬火、提灯、旗、それから兵隊帰りの喪主《もしゅ》が羽織袴で位牌を捧《ささ》げ、其後から棺を蔵《おさ》めた輿《こし》は八人で舁《か》かれた。七さんは着流《きなが》しに新しい駒下駄で肩を入れて居る。此辺には滅多に見た事も無い立派な輿だ。白無垢の婦人、白衣の看護婦、黒い洋服の若い医師、急拵《きゅうごしら》えの紋を透綾《すきや》の羽織に張《は》った親戚の男達、其等が棺の前後に附添うた。大勢の子供や、子守が跟《つ》いて来る。婆さんかみさんが皆出て見る。
昨夜《ゆうべ》の豪雨《ごうう》は幸にからり霽《は》れて、道も大抵乾いて居る。風が南からソヨ/\吹いて、「諸行無常」「是生滅法」の紙幟《はた》がヒラ/\靡《なび》く。「南無阿弥陀ァ仏――南無阿弥陀ァ仏」単調《たんちょう》な村の哀《かなしみ》の譜《ふ》は、村の静寂の中に油の様に流れて、眠れよ休めよと云う様に棺を墓地へと導く。
葬列は滞《とどこおり》なく、彼が家の隣の墓地に入った。此春墓地拡張の相談がきまって、三|畝《せ》余《あま》りの小杉山を拓《ひら》いた。其杉を買った故人外二名の人々が、大きな分は伐《き》って売り、小さなのは三人で持って来て彼の家に植えてくれた。其れは唯三月前の四月の事であった。其れから最早墓が二つも殖えた。二番目が寺本さんである。
墓地の樒《しきみ》の木に障《さわ》るので、若い洋服の医師が手を添えて枝を擡《もた》げたりして、棺は掘られた墓の前に据えられた。輿を解くのが一仕事、東京から来た葬儀社の十七八の若者は、真赤になってやっと輿をはずした。白木綿《しろもめん》で巻かれた柩《ひつぎ》は、荒縄《あらなわ》で縛《しば》られて、多少の騒ぎと共に穴の中に下《おろ》された。野良番は鍬《
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