きは新調のカーキー服にギュウ/\云う磨き立ての長靴、腰の淋《さび》しいのを気にしながら、胸に真新《まあたら》しい在郷軍人|徽章《きしょう》をつるして、澄まし返《かえ》って歩いて来る。面々|各自《てんで》の挨拶がある。鎮守の宮にねり込んで、取りあえず神酒《みき》一献《いっこん》、古顔の在郷軍人か、若者頭の音頭《おんど》で、大日本帝国、天皇陛下、大日本帝国陸海軍、何々丑之助君の万歳がある。丑之助君が何々有志諸君の万歳を呼ぶ。其れから丑之助君を宅《たく》へ送って、いよ/\飲食《のみくい》だ。赤の飯、刻※[#「魚+昜」、上巻−147−8]《きざみするめ》菎蒻《こんにゃく》里芋蓮根の煮染《にしめ》、豆腐に芋の汁、はずんだ家では菰冠《こもかぶ》りを一樽とって、主も客も芽出度《めでたい》と云って飲み、万歳と云っては食い、満腹満足、真赤《まっか》になって祝うのだ。二三日すると帰り新参《しんざん》の丑之助君が、帰った時の服装《なり》で神妙《しんみょう》に礼廻りをする。軒別に手拭か半紙。入営に餞別《せんべつ》でも貰った家へは、隊名姓名を金文字で入れた盃や塗盆《ぬりぼん》を持参する。兵士一人出す家の物入も大抵では無い。
 兵隊さんの出代《でがわ》りで、除隊を迎えると、直ぐ入営送りだ。体格がよく、男の子が多くて、陸海軍拡張の今日と来て居るので、何れの字からも二人三人兵士を出さぬ年は無い。白羽《しらは》の箭が立った若者には、勇んで出かける者もある。抽籤《くじ》を遁《のが》れた礼参りに、わざ/\鴻《こう》の巣《す》在《ざい》の何宮さんまで出かける若者もある。二十歳《はたち》前後が一番百姓仕事に実《み》が入る時ですから、とこぼす若い爺《とっ》さんもある。然し全国皆兵の今日だ。一人息子でも、可愛息子でも、云い聞かされた「国家の為」だ、出せとあったら出さねばならぬ。出さぬと云ったら、お上に済まぬ。近所に済まぬ。そこで父の右腕《みぎうで》、母のおもい子の岩吉も、頭は五分刈、中折帽、紋付羽織、袴、靴、凜《りゅう》とした装《なり》で、少しは怯々《おどおど》した然し澄《す》ました顔をして、鎮守の宮で神酒《みき》を飲まされ、万歳の声と、祝入営の旗五六本と、村楽隊と、一字総出の戸主連に村はずれまで見送られ、知らぬ生活に入る可く往ってしまう。二三日、七八日《ななようか》過ぐると、軒別に入営済《にゅうえいずみ》の御礼のはがきが来る。

       十二

 兵隊さんの出代りを村の一年最後の賑合にして、あとは寂《さび》しい初冬の十二月に入る。
「稼収《かおさまって》平野濶《へいやひろし》」晩稲も苅られて、田圃《たんぼ》も一望ガランとして居る。畑の桑は一株ずつ髻《もとどり》を結《ゆ》われる。一束ずつ奇麗に結わえた新藁《しんわら》は、風よけがわりにずらりと家の周囲《まわり》にかけられる。ざら/\と稲を扱《こ》く音。カラ/\と唐箕車《とうみぐるま》を廻す響《おと》。大根引、漬菜洗い、若い者は真赤な手をして居る。昼《ひる》は北を囲うた南向きの小屋の蓆《むしろ》の上、夜は炉《ろ》の傍《はた》で、かみさんはせっせと股引、足袋を繕《つくろ》う。夜は晩くまで納屋《なや》に籾《もみ》ずりの響がする。突然《だしぬけ》にざあと時雨《しぐれ》が来る。はら/\と庇《ひさし》をうって霰《あられ》が来る。ちら/\と風花《かざはな》が降る。北から凩《こがらし》が吹いて来て、落葉した村の木立を騒々しく鳴らす。乾いた落葉が、遽《あわ》てゝカラカラと舞い奔《はし》る。箒を逆《さかさ》に立てた様な雑木山に、長い鋸《のこ》を持った樵夫《さきやま》が入って、啣《くわ》え煙管《ぎせる》で楢《なら》や櫟《くぬぎ》を薪に伐《き》る。海苔疎朶《のりそだ》を積んだ車が村を出る。冬至までは、日がます/\つまって行く。六時にまだ小暗《おぐら》く、五時には最早《もう》闇《くら》い。流しもとに氷が張る。霜が日に/\深くなる。
 十五日が世田《せた》ヶ谷《や》のボロ市。世田ヶ谷のボロ市は見ものである。松陰《しょういん》神社《じんじゃ》の入口から世田ヶ谷の上宿《かみじゅく》下宿を打通して、約一里の間は、両側にずらり並んで、農家日用の新しい品々は素より、東京中の煤掃《すすは》きの塵箱《ごみばこ》を此処へ打ち明けた様なあらゆる襤褸《ぼろ》やガラクタをずらりと並べて、売る者も売る、買う者も買う、と唯驚かるゝばかりである。見世物が出る。手軽な飲食店が出る。咽《のど》を稗《ひえ》が通る様に、店の間を押し合いへし合いしてぞろ/\人間《にんげん》が通る。近郷《きんごう》近在の爺さん婆さん若い者女子供が、股引《ももひき》草鞋《わらじ》で大風呂敷を持ったり、荷車を挽《ひ》いたり、目籠《めかご》を背負ったりして、早い者は夜半から出かける。新しい莚《むしろ》、筍
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