掘器《たけのこほり》、天秤棒を買って帰る者、草履《ぞうり》の材料やつぎ切れにする襤褸《ぼろ》を買う者、古靴を値切《ねぎ》る者、古帽子、古洋燈、講談物《こうだんもの》の古本を冷かす者、稲荷鮨《いなりずし》を頬張《ほおば》る者、玉乗の見世物の前にぽかんと立つ者、人さま/″\物さま/″\の限を尽す。世田ヶ谷のボロ市を観《み》て悟《さと》らねばならぬ、世に無用のものは無い、而《そう》して悲観は単に高慢であることを。
 ボロ市過ぎて、冬至もやがてあとになり、行く/\年も暮《くれ》になる。蛇《へび》は穴に入り人は家に籠《こも》って、霜枯《しもがれ》の武蔵野は、静かな昼《ひる》にはさながら白日《まひる》の夢に定《じょう》に入る。寂しそうな烏が、此|樫《かし》の村から田圃を唖々《ああ》と鳴きながら彼|欅《けやき》の村へと渡る。稀には何処から迷い込んだか洋服ゲートルの猟者が銃先《つつさき》に鴫《しぎ》や鵯《ひよ》のけたゝましく鳴いて飛び立つこともあるが、また直ぐともとの寂しさに返える。凩《こがらし》の吹く夜は、海の様な響《ひびき》が武蔵野に起って、人の心を遠く遠く誘《さそ》うて行く。但東京の屋敷に頼《たの》まれて餅を搗く家や、小使取りに餅舂《もちつ》きに東京に出る若者はあっても、村其ものには何処《どこ》に師走《しわす》の忙《せわ》しさも無い。二十五日、二十八日、晦日《みそか》、大晦日、都の年の瀬は日一日と断崖《だんがい》に近づいて行く。三里東の東京には、二百万の人の海、嘸《さぞ》さま/″\の波も立とう。日頃《ひごろ》眺むる東京の煙も、此四五日は大息《おおいき》吐息《といき》の息巻荒く※[#「風+昜」、第3水準1−94−7]《あが》る様に見える。然し此処《ここ》は田舎である。都の師走《しわす》は、田舎の霜月《しもつき》。冬枯《ふゆがれ》の寂しい武蔵野は、復活の春を約して、麦が今二寸に伸びて居る。気に入りの息子を月の初に兵隊にとられて、寂しい心の辰《たつ》爺《じい》さんは、冬至が過ぎれば日が畳の目一つずつ永くなる、冬のあとには春が来る、と云う信仰の下に、時々|竹箆《たけべら》で鍬の刃につく土を落しつゝ、悠々《ゆうゆう》と二寸になった麦のサクを切って居る。
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     媒妁

 結婚の媒妁《なかだち》を頼まれた。式は宜い様にやってくれとの事である。新郎《しんろう》とは昨今の知合で、新婦は初めて名を聞いた。媒妁なンか経験もなし、断ったが、是非との頼《たの》み、諾《よし》と面白半分引受けてしもうた。
 明治四十年の九月|某日《それのひ》、媒妁夫妻は小婢《こおんな》と三人がかりで草屋の六畳二室を清《きよ》め、赤、白、鼠、婢の有《もの》まで借りて、あらん限りの毛布を敷きつめた。家のまわりも一《ひと》わたり掃《は》いた。隔ての唐紙《からかみ》を取払い、テーブルを一脚《いっきゃく》東向きに据《す》え、露ながら折って来た野の草花を花瓶《かへい》一ぱいに插《さ》した。女郎花《おみなえし》、地楡《われもこう》、水引、螢草、うつぼ草、黄碧紫紅《こうへきしこう》入り乱れて、あばら家も為に風情《ふぜい》を添えた。媒妁夫妻は心嬉しく、主人は綿絽《めんろ》の紋付羽織に木綿茶縞の袴、妻は紋服《もんぷく》は御所持なしで透綾《すきや》の縞の単衣にあらためて、徐《しずか》に新郎新婦の到着を待った。
 正午過ぎ、村を騒がして八台の車が来た。新郎新婦及縁者の人々である。新婦は初めて見た。眼のきれの長い佳人《かじん》である。更衣室も無いので、仕切りの障子をしめ、二畳の板の間を半分《はんぶん》占《し》めた古長持の上に妻の鏡台《きょうだい》を置いた。鏡台の背には、破簾《やれみす》を下げて煤《すす》だらけの勝手を隔てた。二十分の後此|楽屋《がくや》から現われ出た花嫁君《はなよめぎみ》を見ると、秋草の裾模様《すそもよう》をつけた淡紅色《ときいろ》絽《ろ》の晴着で、今咲いた芙蓉《ふよう》の花の様だ。花婿も黒絽紋付、仙台平の袴、凜《りゅう》として座って居る。
 媒妁は一咳《いちがい》してやおら立上った。
「勝田慶三郎」
「松居千代」
 卒業免状でも渡す時の様に、声《こえ》厳《おごそか》に新郎新婦を呼び出して、テーブルの前に立たせた。而《そう》して媒妁は自身愛読する創世記《そうせいき》イサク[#「イサク」に傍線]、リベカ[#「リベカ」に傍線]結婚の条を朗々《ろうろう》と読み上げた。
「祈祷《きとう》を致します」
 斯く云って、媒妁がやゝ久しく精神を統一すべく黙って居ると、
「祈祷を致すのでございますか」
と新郎がやゝ驚いた様に小声できく。媒妁は頓着《とんじゃく》なく祝祷《しゅくとう》をはじめた。
 祈祷が終る。妻が介抱《かいほう》して、新郎新婦を握手させる。一旦新婦の手からぬいて置いた指環
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