う》の生活等につき面白い話を聞いた。楡《にれ》の蔭うつ大学の芝生、アカシヤの茂る大道の並木、北海道の京都札幌は好《よ》い都府である。
余等は其日の夜汽車で札幌を立ち、あくる一日を二たび大沼公園の小雨《こさめ》に遊び暮らし、其夜函館に往って、また梅が香丸で北海道に惜しい別れを告げた。
[#改ページ]
津軽
青森に一夜|明《あか》して、十月六日の朝|弘前《ひろさき》に往った。
津軽《つがる》は今|林檎《りんご》王国の栄華時代である。弘前の城下町を通ると、ケラを被《き》て目かご背負うた津軽女《つがるめ》も、草履はいて炭馬をひいた津軽男も、林檎|喰《く》い/\歩いて居る。代官町《だいかんまち》の大一と云う店で、東京に二箱仕出す。奥深《おくぶか》い店は、林檎と、箱と、巨鋸屑《おがくず》と、荷造りする男女で一ぱいであった。
古い士族町、新しい商業町、場末《ばすえ》のボロ町を通って、岩木川《いわきがわ》を渡り、城北三里|板柳《いたやぎ》村の方へ向うた。まだ雪を見ぬ岩木山は、十月の朝日に桔梗の花の色をして居る。山を繞《めぐ》って秋の田が一面に色づいて居る。街道は断続|榲※[#「木+孛」、第3水準1−85−67]《まるめろ》の黄《き》な村、林檎の紅い畑を過ぎて行く。二時間ばかりにして、岩木川の長橋を渡り、田舎町には家並《やなみ》の揃《そろ》うて豊らしい板柳村に入った。
板柳村のY君は、林檎園の監督をする傍、新派の歌をよみ文芸を好む人である。一二度粕谷の茅廬にも音ずれた。余等はY君の家に一夜|厄介《やっかい》になった。文展《ぶんてん》で評判の好かった不折《ふせつ》の「陶器つくり」の油絵、三千里の行脚《あんぎゃ》して此処にも滞留《たいりゅう》した碧梧桐「花林檎」の額、子規、碧、虚の短冊、与謝野夫妻、竹柏園社中の短冊など見た。十五町歩の林檎園に、撰屑《よりくず》の林檎の可惜《あたら》転《ころ》がるのを見た。種々の林檎を味わうた。夜はY君の友にして村の重立たる人々にも会うた。余はタァナァ水彩画帖をY君に贈り、其フライリーフに左の出たらめを書きつけた。
[#ここから3字下げ]
林檎|朱《あけ》に榲※[#「木+孛」、第3水準1−85−67]《まるめろ》黄なる秋の日を
岩木山下《いわきさんか》に君とかたらふ
[#ここで字下げ終わり]
あくる朝は早く板柳村を辞した
前へ
次へ
全342ページ中332ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング