》」とかの画《え》になりそう。
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細君が指輪《ゆびわ》をなくしたので、此頃勝手元の手伝《てつだ》いに来る隣字《となりあざ》のお鈴《すず》に頼み、吉《きち》さんに見てもらったら、母家《おもや》の乾《いぬい》の方角《ほうがく》高い処にのって居る、三日《みっか》稲荷様《いなりさま》を信心すると出て来る、と云うた。
吉さんは隣字の人で、日蓮宗の篤信者《とくしんじゃ》、病気が信心で癒《なお》った以来千里眼を得たと人が云う。吉凶《きっきょう》其他分からぬ事があれば、界隈《かいわい》の者はよく吉さんに往って聞く。造作《ぞうさ》なく見てくれる。馬鹿にして居る者もあるが、信ずる者が多い。信ずる者は、吉さんの言《ことば》で病気も癒《なお》り、なくなったものも見出す。此辺での長尾《ながお》郁子《いくこ》、御船《みふね》千鶴子《ちづこ》である。
裏の物置に大きな青大将《あおだいしょう》が居る。吉さんは、其れを先々代の家主のかみさんの霊《れい》だと云う。兎に角、聞く処によれば、これまで吉さんの言が的中《てきちゅう》した例は少なくない。吉さんは人の見得ないものを見る。汽車の轢死人《れきしにん》があった処を吉さんが通ると、青い顔の男女《なんにょ》がふら/\跟《つ》いて来て仕方《しかた》がないそうだ。
余の家にも他の若い者|並《なみ》に仕事に来ることがある。五十そこらの、瘠《や》せて力があまりなさそうな無口な人である。
我等は信が無い為に、統一が出来ない為に、おのずから明瞭なものも見えず聞こえずして了うのである。信ずる者には、奇蹟は別に不思議でも何でもない筈《はず》だ。
然しながら我等|凡夫《ぼんぷ》は必しも人々尽く千里眼たることは出来ぬ。また必ずしも悉く千里眼たるを要せぬ。長尾郁子や千鶴子も評判が立つと間もなく死んで了うた。不信が信を殺したとも云える。また一方から云えば、幽明《ゆうめい》、物心《ぶっしん》、死生《しせい》、神人《しんじん》の間を隔《へだ》つる神秘の一幕《いちまく》は、容易に掲《かか》げぬ所に生活の面白味《おもしろみ》も自由もあって、濫《みだ》りに之を掲ぐるの報《むくい》は速《すみ》やかなる死或は盲目である場合があるのではあるまいか。命を賭《と》しても此帷幕の隙見《すきみ》をす可く努力せずに居られぬ人を哂《わら》うは吾儕《われら》が鈍《どん》
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