大渦《おおうず》が巻いて居るので、村を出ると直ぐ東京に吸われてしもうて、移住出稼などに向く者は先ず無いと云うてよい。世良田《せらだ》君なんどは稀有《けう》の例である。
東京に出て相応《そうおう》に暮らして行く者もあるが、春秋の彼岸や盆《ぼん》に墓参に来る人の数は少なく、余の直ぐ隣の墓地でも最早《もう》無縁《むえん》になった墓が少からずあるのを見ると、故郷はなれた彼等の運命が思いやられぬでもない。「家鴨馴知灘勢急、相喚相呼不離湾」何処《どこ》ぞへ往ってしまいたいと口癖《くちぐせ》の様に云う二番目息子の稲公《いねこう》を、阿母《おふくろ》が懸念《けねん》するのも無理は無い。
[#地から3字上げ](明治四十四年 十二月五日)
[#改ページ]
透視
非常の霜、地皮《ちひ》が全く霜《しも》やけして了うた。
午《ご》の前後はまた無闇《むやみ》と暖《あたたか》だ。凩《こがらし》も黙《だま》り、時雨《しぐれ》も眠《ねむ》り、乾《かわ》いて反《そ》りかえった落葉《おちば》は、木の下に夢《ゆめ》みて居る。烏《からす》が啼《な》いたあとに、隣の鶏《にわとり》が鳴《な》き、雀《すずめ》が去ったあとの楓《かえで》の枝《えだ》に、鷦鷯《みそさざい》がとまる。静かにさす午後の日に白く光《ひか》って小虫《こむし》が飛ぶ。蜘糸《くものい》の断片が日光の道を見せて閃《ひら》めく。甲州の山は小春《こはる》の空《そら》にうっとりと霞《かす》んで居る。
落ちついて、はっきりして、寂しい中に暖か味《み》があって、温《あたた》かい中に寂し味があって、十二月は本当に好い月である。
日曜だが、来客もなくて静《しずか》なことだ。主と妻と女児と、日あたりの好《い》い母屋《おもや》の南縁《なんえん》で、日なたぼっこをして遊ぶ。白茶《しらちゃ》天鵞絨《びろうど》の様に光る芝生《しばふ》では、犬のデカとピンと其子のタロウ、カメが遊んで居る。大きなデカ爺《おやじ》が、自分の頭程《あたまほど》もない先月生れの小犬の蚤《のみ》を噛《か》んでやったり、小犬が母の頸輪《くびわ》を啣《くわ》えて引張ったり、犬と猫と仲悪《なかわる》の譬《たとえ》にもするにデカと猫のトラと鼻《はな》突《つき》合わして互《たがい》に疑《うたが》いもせず、皆悠々と小春の恩光《おんこう》の下《もと》に遊んで居る。「小春」とか「和楽《わらく
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