》に襲《おそ》われたのである。随分死の苦しみをしたであろうに、家の者はぐっすり寝込《ねこ》んで些《ちっと》も知らなかった。昨秋以来鼬の難《なん》にかゝることこゝに五たびだ。前度に懲《こ》りて、鶏舎の締《しま》りを厳重にしたが、外にしめ出しては詮方《しかた》が無い。梨《なし》の木の下に埋葬。
 午後東京から来た学生の一人が、天皇陛下|今暁《こんぎょう》一時四十三分|崩御《ほうぎょ》あらせられたと云う事を告げた。
 陛下崩御――其れは御重態《ごじゅうたい》の報伝わって以来|万更《まんざら》思い掛けぬ事ではなかったが。
 園内《えんない》を歩いて陛下の御一生を思うた。
 東の方を見ると、空も喪装《もそう》をしたのかと思われて、墨色《すみいろ》の雲が東京の空をうち覆《おお》うて居る。暮れ方になって降り出した。

       四

 七月三十一日。
 欝陶《うっとう》しく、物悲しい日。
 新聞は皆|黒縁《くろぶち》だ。不図新聞の一面に「睦仁《むつひと》」の二字を見つけた。下に「先帝御手跡」とある。孝明天皇の御筆かと思うたのは一瞬時《いっしゅんじ》、陛下は已に先帝とならせられたのであった。新帝陛下の御践祚《ごせんそ》があった。明治と云う年号《ねんごう》は、昨日限り「大正《たいしょう》」と改められる、と云う事である。
 陛下が崩御になれば年号も更《かわ》る。其れを知らぬではないが、余は明治と云う年号は永久につゞくものであるかの様に感じて居た。余は明治元年十月の生れである。即ち明治天皇陛下が即位式《そくいしき》を挙げ玉うた年、初めて京都から東京に行幸《みゆき》あった其月東京を西南に距《さ》る三百里、薩摩に近い肥後|葦北《あしきた》の水俣《みなまた》と云う村に生れたのである。余は明治の齢《よわい》を吾齢と思い馴《な》れ、明治と同年だと誇《ほこ》りもし、恥じもして居た。
 陛下の崩御《ほうぎょ》は明治史の巻を閉《と》じた。明治が大正となって、余は吾生涯が中断《ちゅうだん》されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生《はんせい》を持って往っておしまいになったかの様に感じた。
 物哀《ものかな》しい日。田圃向うに飴屋《あめや》が吹く笛の一声《ひとこえ》長く響いて、腸《はらわた》にしみ入る様だ。

       五

 八月一日。
 月の朔《ついたち》で、八幡様に神官が来て、お神酒《みき》が上
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