だみごえ》あげて蛙《かわず》が「生《う》めよ殖《ふ》えん」とわめく。雀や燕《つばめ》は出産《しゅっさん》を気がまえて、新巣《しんす》の経営《けいえい》に忙《せわ》しく、昨日も今日も書院《しょいん》の戸袋《とぶくろ》に巣《す》をつくるとて、チュッ/\チュッ/\喧《やかま》しく囀《さえず》りながら、さま/″\の芥《あくた》をくわえ込む。蠅《はえ》がうるさい。蚊《か》がうるさい。薔薇《ばら》にも豌豆《えんどう》にも数限りもなく虫が涌く。地は限りなく草を生《は》やす。四囲《あたり》の自然に攻め立てられて、万物《ばんぶつ》の霊殿《れいどの》も小さくなって了《しま》いそうだ。
 隣の金《かね》さんが苗をくれた南瓜《とうなす》の成長を見に来たついでに、斯様《こん》な話をした。金さんの家に、もと非常によく実《な》る葡萄《ぶどう》があった。一年《あるとし》家の新ちゃんが葡萄をちぎると棚《たな》から落ち、大分の怪我をした。それからと云うものは、家の者一同深く其葡萄の木を憎んだ。すると、葡萄は何時となく枯れて了うた。憎むと枯れる。面白い話。新約聖書に、耶蘇《やそ》が実《みの》らぬ無花果《いちじく》を通りかゝりに咀《のろ》うたら、夕方帰る時最早枯れて居たと云う記事がある。耶蘇程の心力の強い人には出来そうな事だ。
 夕方|真紅《まっか》な提灯《ちょうちん》の様な月が上った。雨になるかと思うたら、水の様な月夜になった。此の頃は宵毎《よいごと》に月が好い。夜もすがら蛙が鳴く。剖葦《よしきり》が鳴く。月に浸《ひた》されて生活する我儕《われら》も、さながら深い静かな水の底《そこ》に住んで居る心地がする。
[#地から3字上げ](明治四十五年 六月一日)
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     麦愁

 机に向うて、終日|兀座《こつざ》。
 外は今にも降りそうな空の下に、一村《ひとむら》総出の麦収納《むぎしゅうのう》。此方《こち》では鎌の音|※[#「竹/(束+欠)」、下巻−60−3]々《さくさく》。彼方《あち》では昨日苅ったのを山の様に荷車に積んで行く。時々|賑《にぎ》やかな笑声が響《ひび》く。皆欣々として居る。労働の報酬《むくい》が今来るのだ。嬉《うれ》しい筈。
 例年麦秋になると、美的百姓先生の煩悶《はんもん》がはじまる。余は之を自家の麦愁《ばくしゅう》と名づける。先生の家《うち》にも、大麦小麦を合わせて一反そ
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