》を責め最早《もう》六十にもなって余生幾何もない其身、改心して死花《しにばな》を咲かせろと勧めた。親分は其稼業の苦しい事を話し、ぎろりとした眼から涙の様なものを落して居た。

       六

 然しながら彼《かの》癌腫《がんしゅ》の様な家の運命は、往く所まで往かねばならなかった。
 己が生んだ子は己が処置しなければならぬので、おかみは盲の亥之吉を東京に連れて往って按摩《あんま》の弟子にした。家に居る頃から、盲目ながら他の子供と足場の悪い田舎道を下駄ばきでかけ廻《まわ》った勝気の亥之吉は、按摩の弟子になってめき/\上達し、追々《おいおい》一人前の稼ぎをする様になった。おかみは行々《ゆくゆく》彼をかゝり子にする心算《つもり》であった。それから自身によく肖《に》た太々《ふてぶて》しい容子をした小娘《こむすめ》のお銀を、おかみは実家近くの機屋《はたや》に年季奉公に入れた。
 二人の兄の唖の巳代吉《みよきち》は最早若者の数に入った。彼は其父方の血を示《しめ》して、口こそ利けね怜悧な器用な華美《はで》な職人風のイナセな若者であった。彼は吾家に入り浸《びた》る博徒の親分を睨《にら》んだ。両手を組んでぴたりと云わして、親分とおっかあが斯様《こんな》だと眼色を変えて人に訴えた。親分とおかみは巳代吉を邪魔にし出した。ある時巳代公は親分の財布を盗んで銀時計を買った。母を窃《ぬす》む者の財布を盗むは何でもないと思ったのであろう。親分は是れ幸と巡査を頼んで巳代公を告訴し、巳代公を監獄に入れようとした。巳代公を入れるより彼《あの》二人《ふたり》を入れろ、と村の者は罵った。巳代吉は本家から願下《ねがいさ》げて、監獄に入れる親分とおかみの計画は徒労になった。然し親分は中々其居馴れた久さんの家《うち》の炉《ろ》の座《ざ》を動こうともしなかった。親分と唖の巳代吉の間はいよ/\睨合《にらみあい》の姿となった。或日巳代吉は手頃《てごろ》の棒《ぼう》を押取って親分に打ってかゝった。親分も麺棒《めんぼう》をもって渡り合った。然し血気の怒に任《まか》する巳代吉の勢鋭く、親分は右の手首を打折《うちお》られ、加之《しかも》棒に出て居た釘で右手の肉をかき裂《さ》かれ、大分の痛手《いたで》を負うた。隣家の婆さんが駈《か》けつけて巳代吉を宥《なだ》めなかったら、親分は手疵に止まらなかったかも知れぬ。繃帯《ほうたい》して右手《めて》を頸《くび》から釣って、左の手で不精鎌《ぶしょうがま》を持って麦畑の草など親分が掻いて居るのを見たのは二月も後《あと》の事だった。喧嘩の仲入《なかいり》に駈けつけた隣の婆さんは、側杖《そばづえ》喰《く》って右の手を痛めた。久さんのおかみは、詫《わ》び心に婆さん宅の竈《へっつい》の下など焚《た》きながら、喧嘩の折節《おりふし》近くに居合わせながら看過《みすぐ》した隣村の甲乙を思うさま罵って居た。

       七

 田畑は勿論《もちろん》宅地《たくち》もとくに抵当《ていとう》に入り、一家中|日傭《ひやとい》に出たり、おかみ自身《じしん》手織《ており》の木綿物《もめんもの》を負って売りあるいたこともあったが、要するに石山新家の没落は眼の前に見えて来た。「お広さん、大層《たいそう》精《せい》が出ますね」久さんが挽く肥車の後押して行くおかみを目がけて人が声をかけると、「天狗様《てんごうさま》の様に働くのさ」とおかみが答えたりしたのは、昔の事になった。おかみは一切稼ぎを廃《よ》した。而して時々丸髷に結って小ざっぱりとした服装《なり》をして親分と東京に往った。家には肴屋が出入したり、乞食物貰いが来れば気前《きまえ》を見せて素手では帰さなかった。彼女は癌腫の様な石山新家を内から吹き飛ばすべき使命を帯びて居るかの様に不敵《ふてき》であった。

           *

 到頭|腫物《しゅもつ》が潰《つぶ》れる時が来た。
 おかみは独で肝煎《きもい》って、家を近在《きんざい》の人に、立木《たちき》を隣字の大工に売り、抵当に入れた宅地を取戻《とりもど》して隣の辰爺さんに売り、大酒呑のおかみのあとに品川堀の店を出して居る天理教信者の彼おかず媼さん処へ引揚げた後、一人残った腫れぼったい瞼《まぶた》をした末の息子を近村の人に頼み、唯一つ残った木小屋を売り飛ばし、而して最早師匠の手を離れて独立して居る按摩の亥之吉《いのきち》と間借《まが》りして住む可く東京へ往って了うた。
 酒好きの老母と唖の巳代吉は、家が売れる頃は最早本家へ帰って居た。
 嬶《かか》に置去られ、家になくなられ、地面に逃げられ、置いてきぼりを喰《く》って一人木小屋に踏み留まった久さんも、是非なく其姉と義兄の世話になるべく、頬冠《ほおかむり》の頭をうな垂れて草履《ぞうり》ぼと/\懐手《ふところで》して本家に帰
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