股引《こんももひき》、下ろし立てのはだし足袋《たび》、切り立ての手拭を顋《あご》の下でチョッキリ結びの若い衆が、爺《おやじ》をせびった小使の三円五円腹掛に捻込《ねじこ》んで、四尺もある手製の杉の撥《ばち》を担《かつ》いで、勇《いさ》んで府中に出かける。六所様には径《けい》六尺の上もある大太鼓《おおだいこ》が一個、中太鼓が幾個《いくつ》かある。若い逞《たくま》しい両腕が、撥と名づくる棍棒で力任《ちからまか》せに打つ音は、四里を隔てゝ鼕々《とうとう》と遠雷の如く響《ひび》くのである。府中の祭とし云えば、昔から阪東男《ばんどうおとこ》の元気任せに微塵《みじん》になる程御神輿の衝撞《ぶつけ》あい、太鼓の撥のたゝき合、十二時を合図《あいず》に燈明《あかり》と云う燈明を消して、真闇《まっくら》の中に人死が出来たり処女《むすめ》が女《おんな》になったり、乱暴の限を尽したものだが、警察の世話が届いて、此頃では滅多な事はなくなった。
落葉木《らくようぼく》は若葉から漸次青葉になり、杉《すぎ》松《まつ》樫《かし》などの常緑木が古葉を落《おと》し落して最後の衣更《ころもがえ》をする。田は紫雲英《れんげそう》の花ざかり。林には金蘭銀蘭の花が咲く。ぜんまいや、稀に蕨《わらび》も立つが、滅多に見かえる者も無い。八十八夜だ。其れ茶も摘《つ》まねばならぬ。茶は大抵《たいてい》葉のまゝで売るのだ。隠元《いんげん》、玉蜀黍《とうもろこし》、大豆も蒔《ま》かねばならぬ。降って来そうだ。桑は伐《き》ったか。桑つきが悪いはお蚕様《こさま》が如何ぞしたのじゃあるまいか。養蚕《ようさん》教師《きょうし》はまだ廻って来ないか。種籾《たねもみ》は如何した。田の荒《あら》おこしもせねばならぬ。苗代掻《しろか》きもせねばならぬ。最早|早生《わせ》の陸稲《おかぼ》も蒔かねばならぬ。何かと云う内、胡瓜《きゅうり》、南瓜《とうなす》、甘藷《さつま》や茄子《なす》も植えねばならぬ。稗《ひえ》や黍《きび》の秋作も蒔かねばならぬ。月の中旬には最早|大麦《おおむぎ》が色づきはじめる。三寸の緑から鳴きはじめた麦の伶人《れいじん》の雲雀は、麦が熟《う》れるぞ、起きろ、急げと朝未明《あさまだき》から囀《さえ》ずる。折も折とて徴兵《ちょうへい》の検査。五分苅頭で紋付羽織でも引かけた体は逞しく顔は子供※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]した若者が、此村からも彼村からも府中に集まる。川端の嘉《かあ》ちゃんは甲種合格だってね、俺《おら》が家《とこ》の忠はまだ抽籤《くじ》は済まねえが、海軍に採《と》られべって事《こん》だ、俺も稼《かせ》げる男の子はなし、忠をとられりゃ作代《さくだい》でも雇うべい、国家の為だ、仕方が無えな、と与右衛門さんが舌鼓《したつづみ》うつ。下田の金さん宅《とこ》では、去年は兄貴《あにき》が抽籤で免《のが》れたが、今年は稲公が彼《あの》体格《たいかく》で、砲兵にとられることになった。当人は勇《いさ》んで居るが、阿母《おふくろ》が今から萎《しお》れて居る。
頓着《とんちゃく》なく日は立って行く。わかれ霜を気遣うたは昨日の様でも、最早|春蝉《はるぜみ》が鳴き出して青葉の蔭《かげ》がそゞろ恋《こい》しい日もある。詩人が歌う緑蔭《りょくいん》幽草《ゆうそう》白花《はくか》を点ずるの時節となって、畑《はたけ》の境には雪の様に卯《う》の花が咲きこぼれる。林端《りんたん》には白いエゴの花がこぼれる。田川の畔《くろ》には、花茨《はないばら》が芳《かんば》しく咲き乱れる。然し見かえる者はない。大切《だいじ》の大切のお蚕様《こさま》が大きくなって居るのだ。然し月の中に一度|雹祭《ひょうまつり》だけは屹度《きっと》鎮守の宮でする。甲武の山近い三多摩の地は、甲府の盆地から発生する低気圧が東京湾へぬける通路に当って居るので、雹や雷雨は名物である。秋の風もだが、春暮《しゅんぼ》初夏《しょか》の雹が殊に恐ろしいものになって居る。雹の通る路筋《みちすじ》はほゞきまって居る。大抵上流地から多摩川《たまがわ》に沿うて下《くだ》り、此辺の村を掠《かす》めて、東南に過ぎて行く。既に五年前も成人《おとな》の拳大《こぶしほど》の恐ろしい雹を降らした。一昨年も唯十分か十五分の間に地が白くなる程降って、場所によっては大麦小麦は種《たね》も残さず、桑、茶、其外|青物《あおもの》一切全滅した処もある。可なりの生活《くらし》をして居ながら、銭《ぜに》になると云えば、井浚《いどざら》えでも屋根|葺《ふき》の手伝でも何でもする隣字《となりあざ》の九右衛門|爺《じい》さんは、此雹に畑を見舞《みま》われ、失望し切って蒲団《ふとん》をかぶって寝てしもうた。ゾラ[#「ゾラ」に傍線]の小説「土」に、ある慾深《よくふか》の若い百姓
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