をつるし、今日《きょう》から小学第一年生だと小さな大手を振って行く。五六年前には、式日《しきじつ》以外《いがい》女生の袴《はかま》など滅多に見たこともなかったが、此頃では日々の登校にも海老茶《えびちゃ》が大分|殖《ふ》えた。小学校に女教員が来て以来の現象である。桃之《ももの》夭々《ようよう》、其葉|蓁々《しんしん》、桃の節句は昔から婚嫁《こんか》の季節だ。村の嫁入《よめいり》婿取《むことり》は多く此頃に行われる。三日三晩村中呼んでの飲明《のみあか》しだの、「目出度《めでた》、※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]《めでた》の若松様《わかまつさま》よ」の歌で十七|荷《か》の嫁入荷物を練込《ねりこ》むなぞは、大々尽《だいだいじん》の家の事、大抵は万事手軽の田舎風、花嫁自身髪結の家から島田で帰って着物を更《か》え、車は贅沢《ぜいたく》、甲州街道まで歩いてガタ馬車で嫁入るなぞはまだ好い方だ。足入れと云ってこっそり嫁を呼び、都合《つごう》の好い時あらためて腰入《こしいれ》をする家もある。はずんだところで調布《ちょうふ》あたりから料理を呼んでの饗宴《ふるまい》は、唯親類縁者まで、村方《むらかた》一同へは、婿は紋付で組内若くは親類の男に連れられ、軒別に手拭の一筋半紙の一帖も持って挨拶に廻るか、嫁は真白に塗って、掻巻《かいまき》程《ほど》の紋付の裾《すそ》を赤い太い手で持って、後見《こうけん》の婆《ばあ》さんかかみさんに連れられてお辞儀《じぎ》をして廻れば、所謂顔見せの義理は済む。村は一月晩《ひとつきおく》れでも、寺は案外|陽暦《ようれき》で行くのがあって、四月八日はお釈迦様《しゃかさま》の誕生会《たんじょうえ》。寺々の鐘《かね》が子供を呼ぶと、爺《とう》か嬶《かあ》か姉《ねえ》に連れられた子供が、小さな竹筒を提《さ》げて、嬉々《きき》として甘茶《あまちゃ》を汲みに行く。
 東京は桜の盛、車も通れぬ程の人出だった、と麹町まで下肥《しもごえ》ひきに往った音吉の話。村には桜は少いが、それでも桃が咲く、李《すもも》が咲く。野はすみれ、たんぽゝ、春竜胆《はるりんどう》、草木瓜《くさぼけ》、薊《あざみ》が咲き乱るゝ。「木瓜薊、旅して見たく野はなりぬ」忙《せわ》しくなる前に、此花の季節《きせつ》を、御岳詣《みたけまいり》、三峰かけて榛名詣《はるなまいり》、汽車と草鞋《わらじ》で遊んで来る講中の者も少くない。子供連れて花見、潮干に出かける村のハイカラも稀にはある。浮かれて蝶《ちょう》が舞いはじめる。意地悪《いじわる》の蛇も穴を出る。空では雲雀《ひばり》がます/\勢よく鳴きつれる。其れに喚《よ》び出される様に、麦《むぎ》がつい/\と伸びて穂《ほ》に出る。子供がぴいーッと吹く麦笛《むぎぶえ》に、武蔵野の日は永くなる。三寸になった玉川の鮎《あゆ》が、密漁者の手から窃《そっ》と旦那の勝手に運ばれる。仁左衛門さん宅《とこ》の大欅《おおけやき》が春の空を摩《な》でて淡褐色《たんかっしょく》に煙りそめる。雑木林の楢《なら》が逸早く、櫟《くぬぎ》はやゝ晩れて、芽を吐《ふ》きそめる。貯蔵《かこい》の里芋《さといも》も芽を吐くので、里芋を植えねばならぬ。月の終は、若葉《わかば》の盛季《さかり》だ。若々とした武蔵野に復活の生気が盈《み》ち溢《あふ》れる。色々の虫が生れる。田圃《たんぼ》に蛙が泥声《だみごえ》をあげる。水がぬるむ。そろ/\種籾《たねもみ》も浸《ひた》さねばならぬ。桑の葉《は》がほぐれる。彼方《あち》も此方《こち》も養蚕前の大掃除《おおそうじ》、蚕具《さんぐ》を乾したり、ばた/\莚《むしろ》をはたいたり。月末には早い処《とこ》では掃《は》き立てる。蚕室を有《も》つ家は少いが、何様《どん》な家でも少くも一二枚|飼《か》わぬ家はない。筍《たけのこ》の出さかりで、孟宗藪《もうそうやぶ》を有つ家は、朝々早起きが楽《たのしみ》だ。肥料もかゝるが、一反八十円から百円にもなるので、雑木山は追々《おいおい》孟宗藪に化けて行く。

       五

 五月だ。来月の忙《せわし》さを見越して、村でも此月ばかりは陽暦《ようれき》で行く。大麦も小麦も見渡す限り穂になって、緑《みどり》の畑は夜の白々と明ける様に、総々《ふさふさ》とした白い穂波《ほなみ》を漂《ただよ》わす。其が朝露を帯《お》びる時、夕日に栄《は》えて白金色に光る時、人は雲雀と歌声《うたごえ》を競《きそ》いたくなる。五日は※[#「木+解」、第3水準1−86−22]餅《かしわもち》の節句だ。目もさむる若葉の緑から、黒い赤い紙の鯉《こい》がぬうと出てほら/\跳《おど》って居る。五月五日は府中《ふちゅう》大国魂《おおくにたま》神社所謂六所様の御祭礼《ごさいれい》。新しい紺の腹掛、紺
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