暮らす村落住者の相違は、斯様な時に顕《あら》われます。私共では年来取りつけの東京四谷の米屋の米を食います。震災で直ぐ食料の心配が来ました。不時の避難客で、早速村の糧食不足となります。東京には玄米の配給があっても、田舎は駄目です。当時私共の家族は、夫妻に、朝鮮から遊びに来て居た二十歳《はたち》になる妻の姪《めい》、七月に秋田から呼んだ十四の女中、それから焼け出されの十七娘、外に猫一疋でした。丁度収穫を終えたばかりの馬鈴薯と畑に甘藷があるので、差迫っての餓死は兎に角、粒食《りゅうしょく》は直ぐ危くなりました。私共夫妻は朝夕パンで、米飯は午食だけです。パンが切れる。ふかしパンをつくる。メリケン粉は二升以上売ってはくれず、それも直ぐ尽きました。砂糖も同様です。ついでに蝋燭も同断です。朝は粥にして、玉蜀黍《とうもろこし》で補《おぎな》い、米を食い尽し、少々の糯米《もちごめ》をふかし、真黒い饂飩粉《うどんこ》や素麺《そうめん》や、畑の野菜や食えるものは片端《かたっぱし》から食うて、粒食の終はもう眼の前に来ました。いよ/\馬鈴薯、甘藷に落ちつく外ありません。其処に前顕《ぜんけん》のS女が見舞に来ました。彼女は本文「次郎桜」の主人公には季《すえ》の妹で、私共の外遊帰来三年間恒春園に薪水の労を助けた娘です。其長姉Y女も、私共の外遊前二年足らず私共の為に働いてくれたのでした。S女に相談すると、翌日の夕、彼女の長兄のI君が一担《いったん》の食糧を運んでくれました。I君は「次郎桜」の兄者《あにじゃ》で、十七年前私共が千歳村へ引越す時、荷車引いて東京まで加勢に来てくれた村の耶蘇信者四人の其一人、本文に「角田《つのだ》勘五郎《かんごろう》の息子《むすこ》」とあるのがそれです。其頃は十六七のにこにこした可愛い息子でした。それが適齢になって兵役に出で、満洲守備に行き、帰って結婚してもう四人の子女の父、郷党《きょうとう》のちゃきちゃきです。I君が担《にな》うて来てくれたは、白米一斗、それは自家の飯米《はんまい》を分けてくれたのでした。それから水瓜、甘藍《キャベツ》、球葱《たまねぎ》、球葱は此辺ではよく出来ませんが、青物市場であまり廉《やす》かったからI君が買って来たその裾分《すそわ》けという事でした。玄米でも饂飩粉でもよかった、「働く人の食料を分けてもらうのは気の毒」と私が申すと、「働くから上げられ
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