るのです」とI君が昂然《こうぜん》と応《こた》えました。これは確に一本参りました。全くです。働くから自ら養い他を養う事が出来るのです。私共は唯二つ残って居た懐中汁粉《かいちゅうじるこ》をI君に馳走して、色々話しました。千歳村移転当時の話からI君は其時私が諸君に向い、「東京も人間が多過ぎる、あまり頭に血が寄ると日本も脳充血になる、だから私は都を出でて田舎に移る」と申した事を私に想い出さしてくれました。兎に角私共はよくぞ其時都落ちをしました。でなければ私はもうとくに青山あたりの土になって居たかも知れません。十七年を過して、此処《ここ》に斯く在《あ》る事は、本当に感謝です。I君の贈物は肝腎《かんじん》な時に来て、大切なツナギになりました。その一斗の米が終る頃は、四谷の米屋の途《みち》も開けました。
私は最初「みみずのたはこと」の広告に、斯様な告白をしました。
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『著者は田舎を愛すれども、都会を捨つる能わず、心|窃《ひそか》に都会と田舎の間に架する橋梁《きょうりょう》の其板の一枚たらん事を期す。』
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不徹底な言い分のようですが、それが私の実情でした。今とても同然です。私は土を愛し、田舎を愛し、土の人なる農を愛しますが、私の愛は都市にも海にもあらゆる人間と其|営《いとな》みとを忘るゝ事は出来ません。私は慾張りです。私は一切を愛します。総《そう》じて血のめぐりの好い生体《せいたい》は健全です。病は偏《へん》です。不仁が病です。脳貧血のわるいは、脳充血のわるいに劣りません。私共の農村移住は随分吾儘な不徹底なものでしたが、それですら都鄙の間に通う血の一縷《いちる》となったと思えば、自ら慰むるところがあります。「みみずのたはこと」は自嘲気分を帯びた未熟な産物ですが、大正二年以来十年間に版を改むる百〇七、拾余万部を売り尽し、私共の耳目に触るゝ反響から見るも、農村を自愛させ、すべてに農村を愛さす上に幾分の効があったと知る事は、私共にとって大なる悦喜であります。
私も以前は農村に住んで農になり切れず、周囲に同化しきれぬきまり悪さを「美的百姓」などと自から茶かして居ました。然し其|懊悩《おうのう》はもう脱《ぬ》けました。私共は粕谷に腰を据えました。私共は農村に骨を埋《うず》めます。然し私共は所謂農ではありません、私共の鍬はペンです。土は米麦
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