さんと彼等の干繋《かんけい》を簡単に述べ、父者人に対して卑怯なる虚言の罪を謝し、終に臨み、お馨さんの早世《そうせい》はまことに残念だが、自身の妹か娘があるならば、十人は十人矢張お馨さんの様に戦場に送りたいと思うと言った。
次ぎにF女史が立って、お馨さんの臨終前後の事を述べた。お馨さんは、ブルックリン病院の生徒となって以来、忠実に職分を尽して、校長はじめ先輩、同僚、患者、すべての人の信愛を贏《か》ち得た。発病以来苦痛も中々あったであろうが、一言も不平《ふへい》憂悶《ゆうもん》の語なく、何をしてもらっても「有難《ありがと》う/\」と心から感謝し、信仰と感謝を以て此世を去った。真に見上げた臨終で、校長はじめ一人として其美しい勇ましい臨終に感激せぬ者は無かった。F女史は斯く事細かに語り来って「私も斯様に米国から御国《おくに》に伝道に参って居りますが、馨子さんの働きを見れば、其働きの間は実に暫《しばらく》の間でございましたが、私は恥入る様に思います。馨子さんは実にやさしい方で、其上男も及ばぬ凜々《りり》しい魂《たましい》を持ってお出でした。春の初に咲く梅の花の様な方でした」と云うた。
言下《ごんか》に、粕谷の彼は、彼の園内の梅の下に立ち白い花を折って黒髪に插《さ》すお馨さんの姿をまざまざと眼の前に見た。本当に彼女は人になった梅の花であった。だから其花を折って簪《かんざし》にしたのだ。彼女にして初めて梅の花を簪にすることが出来る。彼は重ねて思うた。米国からF女史が帰化《きか》して、日本に伝道に来る。日本からお馨さんが米国に往って米国の人達に敬愛されて死ぬる。斯うして日米の間は自然に繋《つな》がれる。お馨さんは常に日米感情の齟齬《そご》を憂えて居る女であった。日米の親和を熱心に祈って居た女であった。其祈は聴かれて、彼女は米国に死んだ。米国の灰《はい》になり米国の土になった彼女は、真《しん》に日本が米国に遣《つか》わした無位無官の本当の平和の使者《つかい》の一人であったと。蓋《けだし》「宝《たから》の在る所心もまた在る」道理で、お馨さんを愛する程の人は、お馨さんの死んだ米国を懐《おも》わずには居られないのである。
最後に外川先生が師弟の関係を述べ、「彼女は強い女であったが、体《からだ》は強健だし、貧乏はしないし、思いやりと云うものが或は欠《か》ける恐れがあった。だから自分は米
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