殺しもすれば見※[#「しんにょう+官」、第3水準1−92−56]《みのが》しもする。殺しても尽きはせぬが、打ちゃって置くと殖《ふ》えて仕様がないのである。書院の前に大きな百日紅《さるすべり》がある。もと墓地にあったもので、百年以上の老木だ。村の人々が五円で植木屋に売ったのを、すでに家の下まで引出した時、彼が無理に譲ってもらったのである。中は悉皆《すっかり》空洞《うろ》になって、枝の或ものは連理《れんり》になって居る。其れを植えた時、墓地の東隣に住んで居た唖の子が、其幹を指して、何かにょろ/\と上って行く状《さま》をして見せたが、墓地にあった時から此百日紅は蛇の棲家《すみか》であったのだ。彼の家に移って後も、梅雨《つゆ》前《まえ》になると蛇が来て空洞《うろ》の孔《あな》から頭を出したり、幹《みき》に絡《から》んだり、枝の上にトグロをまいて日なたぼこりしたりする。三疋も四疋も出て居ることがある。百日紅の枝其ものが滑《すべ》っこく蛇の膚《はだ》に似通うて居るので、蛇も居心地がよいのであろう。其下を通ると、あまり好い気もちはせぬ。時々は百日紅から家の中へ来ることもある。ある時書院の雨戸をしめて居た妻がきゃっと叫《さけ》んだ。南の戸袋に蛇が居たのである。雀が巣くう頃で、雀の臭《におい》を追うて戸袋へ来て居たのであろう。其翌晩、妻が雨戸をしめに行くと、今度は北の戸袋に居た。妻がまたけたゝましく呼んだ。往って繰り残しの雨戸で窃《そっ》と当って見ると、確に軟《やわ》らかなものゝ手答《てごたえ》がする。釣糸に響く魚の手答は好いが、蛇の手応《てごた》えは下《くだ》さらぬ。雨戸をしめれば蛇の逃所がなし、しめねばならず、ランプを呼ぶやら、青竹を吟味《ぎんみ》するやら、小半時《こはんとき》かゝって雨戸をしめ、隅に小さくなって居るのを手早くたゝき殺した。其れが雌《めす》でゞもあったか、翌日他の一疋がのろ/\と其《その》侶《とも》を探がしに来た。一つ撲《う》って、ふりかえる処をつゞけざまに五六つたゝいて打殺した。殺してしもうて、つまらぬ殺生をしたと思うた。
彼が家のはなれの物置兼客間の天井《てんじょう》には、ぬけ殻《がら》から測《はか》って六尺以上の青大将が居る。其家が隣村にあった頃からの蛇で、家を引移《ひきうつ》すと何時の間にか大将も引越して、吾家貌《わがいえがお》に住んで居る。所謂ヌシだ。
前へ
次へ
全342ページ中143ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 健次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング