尺蠖《しゃくとり》。
 蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]の赤腹を見ると、嘔吐《へど》が出る。蟷螂はあの三角の小さな頭、淡緑色の大きな眼球に蚊の嘴《はし》程の繊《ほそ》く鋭い而してじいと人を見詰むる瞳《ひとみ》を点じた凄《すご》い眼、黒く鋭い口嘴《くちばし》、Vice の様な其両手、剖《さ》いて見れば黒い虫の様に蠢《うごめ》く腸を満たしたふくれ腹、身を逆さにして草木の葉がくれに待伏《まちぶせ》し、うっかり飛んで来る蝉の胸先に噛《か》みついてばた/\苦しがらせたり、小さな青蛙の咽《のど》に爪うちかけてひい/\云わしたり、要するに彼はこれ虫界の Iago 悪魔の惨忍《ざんにん》を体現した様なものである。引捉えてやろうとすれば、彼は小さな飛行機《ひこうき》の如く、羽をひろげてぱッぱた/\と飛んで往って了う。憎いやつである。それから、家を負う蝸牛《かたつむり》の可愛気はなくて、ぐちゃりと唯意気地なさを代表した様で、それで青菜|甘藍《キャベツ》を何時の間にか意地汚なく喰い尽す蛞蝓と、枯枝の真似して居て、うっかり触《さわ》れば生きてますと云い貌にびちりと身を捩《もじ》り、あっと云って刎《は》ね飛ばせば、虫のくせに猪口才《ちょこさい》な、頭と尾とで寸法とって信玄流に進む尺蠖とは、気もちの悪い一対《いっつい》である。此等は何れも嬉しくない連中だが、然しまだ/\蛇には敵《かな》わぬ。

       二

 蛇嫌いは、我等人間の多数に、祖先から血で伝わって居る。話で聞き、画で見、幼ない時から大蛇は彼の恐怖の一であった。子供の時から彼はよく蛇の夢を見た。今も心身にいやな事があれば、直ぐ蛇を夢に見る。現《うつつ》に彼が蛇を見たのは五六歳の頃であった。腫物の湯治に、郷里熊本から五里ばかり有明《ありあけ》の海辺《うみべ》の小天《おあま》の温泉に連れられて往った時、宿が天井の無い家で、寝ながら上を見て居ると、真黒に煤《すす》けた屋根裏の竹を縫うて何やら動いて居た。所謂|青大将《あおだいしょう》であったが、是れ目に見ていやなものと蛇を思う最初であった。
 彼の兄は彼に劣らぬ蛇嫌いで、ある時家の下の小川で魚を抄《すく》うとて蛇を抄い上げ、きゃっと叫んで笊《ざる》を抛《ほう》り出し、真蒼《まっさお》になって逃げ帰ったことがある。七八歳の頃、兄弟連れ立っての学校帰りに、川泳ぎして居た悪太郎が
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