しも御上に随喜《ずいき》の結果ではない。彼等が政府の命令に従うのは、彼等が強盗に金を出す様なものだ。此辺の豪農の家では、以前よく強盗に入られるので、二十円なり三十円なり強盗に奉納《ほうのう》の小金《こがね》を常に手近に出して置いたものだ。無益の争して怪我するよりも、と詮《あき》らめて然するのである。農は従順である。土の従順なるが如く従順である。土は無感覚の如く見える。土の如く鈍如《どんより》した農の顔を見れば、限りなく蹂躙《じゅうりん》してよいかの如く誰も思うであろう。然しながら其無感覚の如く見える土にも、恐ろしい地辷《じすべ》りあり、恐ろしい地震があり、深い心の底には燃ゆる火もあり、沸《わ》く水もあり、清《すず》しい命の水もあり、燃《も》せば力の黒金剛石の石炭もあり、無価の宝石も潜《ひそ》んで居ることを忘れてはならぬ。竹槍席旗は、昔から土に※[#「にんべん+牟」、第3水準1−14−22]《ひと》しい無抵抗主義の農が最後の手段であった。露西亜《ろしあ》の強味は、農の強味である。莫斯科《モスクワ》まで攻め入られて、初めて彼等の勇気は出て来る。農の怒は最後まで耐えられる。一たび発すれば、是れ地盤《じばん》の震動である。何ものか震動する大地の上に立てようぞ?

       八

 農家に附きものは不潔である。だらしのないが、農家の病である。然し欠点は常に裏から見た長所である。土と水とが一切の汚物を受け容《い》れなかったら、世界の汚物は何処へ往くであろうか。土が潔癖になったら、不潔は如何《どう》なることであろうか。土の土たるは、不潔を排斥して自己の潔を保つでなく、不潔を包容し浄化して生命の温床《おんしょう》たるにある。「吾父は農夫也」と耶蘇の道破した如く、神は正《まさ》しく一の大農夫である。神は一切を好《よし》と見る。「吾の造りたるものを不潔とするなかれ」是れ大農夫たる神の言葉である。自然の眼に不潔なし。而して農は尤も正しい自然主義に立つものである。

       九

 土なるかな。農なるかな。地に人の子の住まん限り、農は人の子にとって最も自然且つ尊貴な生活の方法で、且其救であらねばならぬ。
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     蛇

       一

 虫類で、彼の嫌いなものは、蛇、蟷螂《かまきり》、蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]《いもり》、蛞蝓《なめくじ》、
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