ちがい》になる。世の中が思う様にならぬでヤケを起し、太く短く世を渡ろうとしてさま/″\の不心得《ふこころえ》をする。鬼に窘《いじ》められて鬼になり、他の小児の積む石を崩してあるくも少くない。賽の河原は乱脈《らんみゃく》である。慈悲柔和《じひにゅうわ》にこ/\した地蔵様が出て来て慰めて下さらずば、賽の河原は、実に情無《なさけな》い住《す》み憂《う》い場所ではあるまいか。旅は道づれ世は情《なさけ》、我儕《われら》は情によって生きることが出来る。地蔵様があって、賽の河原は堪《た》えられる。
庭に地蔵様を立たせて、おのれは日々《ひび》鬼の生活をして居るでは、全く恥かしい事である。
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水車問答
田川の流れをひいて、小さな水車《すいしゃ》が廻って居る。水車のほとりに、樫《かし》の木が一本立って居る。
白日《まひる》も夢見る村の一人の遊び人が、ある日樫の木の下の草地に腰を下して、水車の軋々《ぎいぎい》と廻るを見つゝ聞きつゝ、例の睡るともなく寤《さ》むるともなく、此様な問答を聞いた。
軋《ぎい》と一声長く曳張《ひっぱ》るかと思えば、水車が樫の木を呼びかけたのであった。
「おい樫君、樫君。君は年が年中|其処《そこ》につくねんと立って居るが、全体何をするのだい? 斯忙しい世の中にさ、本当に気が知れないぜ。吾輩を見玉え。吾輩は君、君も見て居ようが、そりゃァ忙しいんだぜ。吾輩は君、地球と同じに日夜《にちや》動いて居るんだぜ。よしかね。吾輩は十五|秒《びょう》で一回転する。ソレ一時間に二百四十回転。一昼夜に五千七百六十回転、一年には勿驚《おどろくなかれ》約《やく》二百十万○三千八百四十回転をやるんだ。なんと、眼が廻るだろう。君は吾輩が唯道楽に回転して居ると思うか。戯談じゃない、全く骨が折れるぜ。吾輩は決して無意味の活動をするんじゃない。吾輩は人間の為に穀《こく》も搗《つ》くのだ、粉《こな》も挽《ひ》く。吾輩は昨年中に、エヽと、搗いた米がざっと五百何十石、餅米が百何十石、大麦が二千何百石、小麦が何百石、粟が……稗《ひえ》が……黍《きび》が……挽いた蕎麦粉《そばこ》が……饂飩粉《うどんこ》が……まだ大分あるが、まあざっと一年の仕事が斯様《こん》なもんだ。如何だね、自賛じゃないが、働きも此位やればまず一人前はたっぷりだね。それにお隣に澄まして御出《おいで》の御前
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