《のどか》に浮いて居る日もある。地蔵様は何時も笑顔で、何時も黙って、何時も合掌してござる。
 地蔵様の近くに、若い三本松と相対して、株立《かぶだ》ちの若い山もみじがある。春夏は緑、秋は黄と紅の蓋《がい》をさし翳《かざ》す。家の主《あるじ》は此山もみじの蔭に椅子テーブルを置いて、時々読んだり書いたり、而して地蔵様を眺めたりする。彼の父方の叔母《おば》は、故郷《ふるさと》の真宗の寺の住持の妻になって、つい去年まで生きて居たが、彼は儒教実学の家に育って、仏教には遠かった。唯乳母が居て、地獄、極楽、剣《つるぎ》の山、三途《さんず》の川、賽《さい》の河原《かわら》や地蔵様の話を始終聞かしてくれた。四《よつ》五歳《いつつ》の彼は身にしみて其話を聞いた。而して子供心にやるせない悲哀《かなしみ》を感じた。其様な話を聞いたあとで、つく/″\眺めたうす闇《ぐら》い六畳の煤《すす》け障子にさして居る夕日の寂しい/\光を今も時々憶い出す。
 賽《さい》の河原は哀《かな》しい而して真実な俚伝《りでん》である。此世は賽の河原である。大御親《おおみおや》の膝下から此世にやられた一切衆生は、皆賽の河原の子供である。子供は皆小石を積んで日を過《すご》す。ピラミッドを積み、万里の長城を築くのがエライでも無い。村の卯之吉が小麦|蒔《ま》くのがツマラヌでも無い。一切の仕事は皆努力である。一切の経営は皆遊びである。而して我儕《われら》が折角骨折って小石を積み上げて居ると、無慈悲の鬼めが来ては唯一棒に打崩す。ナポレオンが雄図《ゆうと》を築《きず》くと、ヲートルルー[#「ヲートルルー」に二重傍線]が打崩す。人間がタイタニックを造って誇り貌《が》に乗り出すと、氷山《ひょうざん》が来て微塵《みじん》にする。勘作が小麦を蒔いて今年は豊年だと悦んで居ると、雹《ひょう》が降《ふ》って十分間に打散らす。蝶よ花よと育てた愛女《まなむすめ》が、堕落書生の餌《えば》になる。身代を注《つ》ぎ込んだ出来の好い息子が、大学卒業間際に肺病で死んで了う。蜀山《しょくさん》を兀《は》がした阿房宮が楚人《そびと》の一炬《いっきょ》に灰になる。人柱を入れた堤防が一夜に崩れる。右を見、左を見ても、賽の河原は小石の山を鬼に崩されて泣いて居る子供ばかりだ。泣いて居るばかりなら猶《まだ》可《よ》い。試験に落第して、鉄道往生をする。財産を無くして、狂《き
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