畑から村と、遠く武蔵野につゞいて居る。

       六

 家の門口は東にある。出ると直ぐ雑木林。彼の有《もの》ではないが、千金|啻《ただ》ならず彼に愛される。彼が家の背《うしろ》に、三角形をなす小さな櫟林《くぬぎばやし》と共に、春夏の際は若葉青葉の隧道《とんねる》を造る。青空から降る雨の様に落葉《おちば》する頃は、人の往来《ゆきき》の足音が耳に立つ。蛇の巣《す》でもあるが、春は香の好いツボスミレ、金蘭銀蘭、エゴ、ヨツドヽメ、夏は白百合、撫子花、日おうぎ、秋は萩、女郎花、地楡《われもこう》、竜胆《りんどう》などが取々《とりどり》に咲く。ヨツドヽメの実も紅《くれない》の玉を綴《つづ》る。楢茸《ならたけ》、湿地茸《しめじだけ》も少しは立つ。秋はさながらの虫籠《むしかご》で、松虫鈴虫の好い音《ね》はないが、轡虫《くつわむし》などは喧しい程で、ともすれば家の中まで舞い込んでわめき立てる。今は無くなったが、先年まで其林の南、墓地の東隣に家があって、十五六の唖の兄と十二三になる盲の弟が、兄が提灯《ちょうちん》つけて見る眼を働かすれば、弟《おとうと》が聞く耳を立てゝ虫の音を指し、不具二人寄って一人前の虫採《むしとり》をしたものだ。最早《もう》其家はつぶれ、弟は東京で一人前の按摩《あんま》になり、兄は本家に引取られて居るが、虫は秋毎に依然として鳴いて居る。家がさながら虫の音に溺《おぼ》れる様な宵《よい》がある。
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[#201ページ、地蔵尊の写真]
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大正十二年九月一日の大震に倒れただけで無事だった地蔵尊が、大正十三年一月十五日の中震に二たび倒れて無惨や頭が落ちました。私共の身代りになったようなものです。身代り地蔵と命名して、倒れたまま置くことにしました。

  大正十三年 春彼岸の中日
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   ひとりごと

     地蔵尊

 地蔵様が欲しいと云ってたら、甲州街道の植木なぞ扱う男が、荷車にのせて来て、庭の三本松の蔭《かげ》に南向きに据《す》えてくれた。八王子の在《ざい》、高尾山下浅川附近の古い由緒《ゆいしょ》ある農家の墓地から買って来た六地蔵の一体だと云う。眼を半眼に開いて、合掌《がっしょう》してござる。近頃出来の頭の小さい軽薄な地蔵に比すれば、頭が余程大きく、曲眉《き
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