寺があるので、時々は哀しい南無阿弥陀《なむあみだ》ァ仏《ぶつ》の音頭念仏に導かれて葬式が通る。
街道は此丘を東に下りて、田圃を横ぎり、また丘に上って、東へ都《みやこ》へと這って行く。田圃をはさむ南北の丘が隣字の船橋《ふなばし》で、幅四丁程の此田圃は長く世田ヶ谷の方へつゞいて居る。田圃の遙《はるか》東に、いつも煙が幾筋か立って居る。一番南が目黒の火薬製造所の煙で、次が渋谷の発電所、次ぎが大橋発電所の煙である。一度東京から逗留《とうりゅう》に来た幼《おさ》ない姪《めい》が、二三日すると懐家病《ホームシック》に罹って、何時《いつ》も庭の端に出ては右の煙を眺めて居た。五月雨《さみだれ》で田圃が白くなり、雲霧《くもきり》で遠望が煙にぼかさるゝ頃は、田圃の北から南へ出る岬《みさき》と、南から北へと差出る※[#「山+鼻」、第4水準2−8−70]《はな》とが、宛《さ》ながら入江を囲《かこ》む崎の如く末は海かと疑われる。廻沢《めぐりさわ》と云い、船橋と云い、地形から考えても、昔は此田圃は海か湖《みずうみ》かであったろうと思われる。
五
谷から向うの丘《おか》にかけて、麦と稲とが彼の為に一年両度緑になり黄になってくれる。雑木林が、若葉と、青葉と、秋葉と、三度の栄《さかえ》を見せる。常見てはありとも見えぬ辺《あたり》に、春来れば李《すもも》や梅が白く、桃が紅く、夏来れば栗の花が黄白く、秋は其処此処に柿紅葉、白膠木《ぬるで》紅葉《もみじ》、山紅葉が眼ざましく栄《は》える。雪も好い。月も好い。真暗い五月闇《さつきやみ》に草舎《くさや》の紅い火を見るも好い。雨も好い。春陰《しゅんいん》も好い。秋晴も好い。降《ふ》る様な星の夜も好い。西の方甲州境の山から起って、玉川を渡り、彼が住む村を過ぎて東京の方へ去る夕立を目迎《まむか》えて見送るに好い。向うの村の梢《こずえ》に先ず訪《おと》ずれて、丘の櫟林、谷の尾花が末、さては己が庭の松と、次第に吹いて来る秋風を指点《してん》するに好い。翳《かげ》ったり、照ったり、躁《さわ》いだり、黙《だま》ったり、雲と日と風の丘と谷とに戯るゝ鬼子っこを見るにも好い。白鯉《しろこい》の鱗《うろこ》を以て包んだり、蜘蛛《くも》の糸を以て織りなした縮羅《しじら》の巾《きぬ》を引きはえたり、波なき海を縁《ふち》どる夥《おびただ》しい砂浜を作ったり、地上の花
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