は浅くなる。行く/\年《とし》闌《た》けて武蔵野の冬深く、枯るゝものは枯れ、枯れたものは乾き、風なき日には光り、風ある日にはがさ/\と人が来るかの様に響《ひび》く。其内ある日近所の辰さん兼さんが※[#「竹/(束+欠)」、上巻−195−4]々《さくさく》※[#「「竹/(束+欠)」、上巻−195−4]々と音さして悉皆堤の上のを苅《か》って、束《たば》にして、持って往って了《しま》う。あとは苅り残されの枯尾花《かれおばな》や枯葭《かれよし》の二三本、野茨《のばら》の紅い実まじりに淋《さび》しく残って居る。覗《のぞ》いて見ると、小川の水は何処へ潜《くぐ》ったのか、窪《くぼ》い水道だけ乾いたまゝに残される。

       四

 谷の向う正面は、雑木林、小杉林、畑などの入り乱れた北向きの傾斜である。此頃は其筋の取締も厳重《げんじゅう》になったが、彼が引越して来た当座は、まだ賭博《とばく》が流行して、寒い夜向うの雑木林に不思議の火を見ることもあった。其火を見ぬ様になったはよいが、真正面《ましょうめん》に彼が七本松と名づけて愛《め》でゝ居た赤松が、大分伐られたのは、惜しかった。此等の傾斜を南に上りつめた丘《おか》の頂《いただき》は、隣字の廻沢《めぐりさわ》である。雑木林に家がホノ見え、杉の森に寺が隠れ、此程並木の櫟《くぬぎ》を伐ったので、畑の一部も街道も見える。彼が粕谷《かすや》に住んだ六年の間に、目通りに木羽葺《こっぱぶき》が一軒、麦藁葺《むぎわらぶき》が一軒出来た。最初はけば/\しい新屋根が気障《きざ》に見えたが、数年の風日は一を燻《くす》んだ紫に、一を淡褐色《たんかっしょく》にして、あたりの景色としっくり調和して見せた。此《この》丘《おか》を甲州街道の滝阪《たきざか》から分岐《ぶんき》して青山へ行く青山街道が西から東へと這《は》って居る。青山に出るまでには大きな阪の二つもあるので、甲州街道の十分の一も往来は無いが、街道は街道である。肥車《こやしぐるま》が通う。馬士《まご》が歌うて荷馬車を牽《ひ》いて通る。自転車が鈴を鳴《な》らして行く。稀に玉川行の自動車が通る。年に幾回か人力車が通る。道は面白い。座《すわ》って居て行路の人を眺《なが》むるのは、断片《だんぺん》の芝居を見る様に面白い。時々は緑《みどり》の油箪《ゆたん》や振りの紅《くれない》を遠目に見せて嫁入りが通る。附近に
前へ 次へ
全342ページ中129ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 健次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング