来様《きよう》が些《ちと》晩《おそ》かったので、三番叟《さんばそう》は早や済んで居た。伊賀越《いがごえ》の序幕は、何が何やら分からぬ間に過ぎた。彼等夫妻も拝殿から下りて、土間に割《わ》り込み、今幕があいた沼津の場面を眺める。五十円で買われて来た市川某尾上某の一座が、団十菊五|芝翫《しかん》其方退《そっちの》けとばかり盛に活躍する。お米は近眼の彼には美しく見えた。お米の手に持つ菊の花、飾《かざ》った菊の植木鉢、それから借金取が取って掃《は》き出す手箒《てぼうき》も、皆彼の家から若者等が徴発《ちょうはつ》して往ったのである。分かるも、分からぬも、観客《けんぶつ》は口あんごりと心も空《そら》に見とれて居る。平作《へいさく》は好かった。隣に座って居る彼が組頭《くみがしら》の恵比寿顔《えびすがお》した爺さんが眼を霑《うる》まして見て居る。頭上《ずじょう》の星も、霜夜も、座下の荒莚《あらむしろ》も忘れて、彼等もしばし忘我の境に入った。やがてきり※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]と舞台が廻る。床下《ゆかした》で若者が五人がゝりで廻すのである。村芝居に廻り舞台は中々|贅沢《ぜいたく》なものだ。
次ぎは直ぐ仇討《かたきうち》の幕になった。狭い舞台にせゝこましく槍をしごいたり眉尖刀《なぎなた》を振ったり刀を振り廻したりする人形が入り乱れた。唐木《からき》政右衛門《まさえもん》が二刀を揮って目ざましく働く。「あの腰付《こしつき》を御覧なさい」と村での通人《つうじん》仁左衛門さんが嘆美する。「星合団四郎なンか中々強いやつが向う方に居るのですからナ」と講談物《こうだんもの》仕入れの智識をふり廻す。
夜は最早十二時。これから中幕の曾我対面がある。彼等は見残して、留守番も火の気も無い家に帰った。平作やお米が踊《おど》る彼等が夢の中にも、八幡の賑合《にぎわい》は夜すがら海の音の様に響いて居た。
[#地から3字上げ](明治四十年 十一月)
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夏の頌
一
夏は好い。夏が好い。夏ばかりでも困ろうが、四時春なンか云う天国は平に御免を蒙る。米国加州人士の中には、わざ※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]夏を迎えに南方に出かける者もあるそうな。不思議はない。
夏は放胆《ほうたん》の季節だ。小心《しょうしん》怯胆
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