から来たか、犬のデカが不安の眼つきをして見上げつゝ、大きな体を主人の脚にすりつける。
 空は到頭雲をかぶって了った。著しく水気《すいき》を含んだ北風が、ぱっ/\と顔を撲《う》って来た。やがて粒だった雨になる。雷《らい》も頭上近くなった。雲見《くもみ》の一群《ひとむれ》は、急いで家に入った。母屋《おもや》の南面の雨戸だけ残して、悉く戸をしめた。暗いのでランプをつけた。
 ざあっと降り出した。雷が鳴る。一庭《いってい》の雨脚を凄《すさま》じく見せて、ピカリと雷が光る。颯《ざあ》、颯と烈しく降り出した。
 見る/\庭は川になる。雨が飛石《とびいし》をうって刎《は》ねかえる。目に入る限りの緑葉《あおば》が、一葉々々に雨を浴《あ》びて、嬉《うれ》しげにぞく/\身を震わして居る。
「あゝ好いおしめりだ」
 斯く云った彼等は、更に
「まだ七時前だよ、まあ」
と婢《おんな》の云う声に驚かされた。
 夕立から本降りになって、雨は夜すがら降った。
[#地から3字上げ](大正元年 八月十四日)
[#改ページ]

     葬式

       一

 午前十時と云う触込《ふれこ》みなので、十一時に寺本さんの家に往って見ると、納屋《なや》と上塗せぬ土蔵《どぞう》の間の大きな柿の木の蔭に村の衆《しゅう》がまだ五六人、紙旗を青竹《あおだけ》に結《ゆ》いつけて居る。
「ドウも御苦労さま、此方様《こちらさま》でも御愁傷《ごしゅうしょう》な」
と云う慣例《かんれい》の挨拶を交《か》わして、其の群《むれ》に入る。一本の旗には「諸行無常《しょぎょうむじょう》」、一本には「是生滅法《ぜしょうめっぽう》」、一本には「皆滅々己《かいめつめっき》」、今一本には何とか書いてある。其上にはいずれも梵字《ぼんじ》で何か書いてある。
「お寺は東覚院《とうがくいん》ですか」
「否《いや》、上祖師ヶ谷の安穏寺《あんのんじ》です」
 其安穏寺の坊《ぼう》さんであろう、紫紺《しこん》の法衣で母屋《おもや》の棺の前に座って居るのが、此方《こち》から見える。棺は緑色の簾《すだれ》をかけた立派な輿《こし》に納めて、母屋の座敷の正面に据《す》えてある。洋服の若い男が坊さんと相対して座《すわ》って居る。医者であろう。左の腕《うで》に黒布を巻いた白衣《はくい》の看護婦の姿が見える。
「看護婦さんも、癒《なお》って帰るじゃ帰り力があるが」と
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