を新郎に渡し、あらためて新郎の手ずから新婦の指に嵌《は》めさす。二人ながら震えて居る。
屋敷に門無く、障子は穴だらけである。村あってより見たこともない夥《おびただ》しい車の入来《じゅらい》に眼を驚かした村の子供が、草履《ぞうり》ばた/\大勢《おおぜい》縁先《えんさき》に入り込んで、ぽかんとした口だの、青涕《あおばな》の出入する鼻だの、驚いた様な眼だのが、障子の穴から覗《のぞ》いて居る。「何だ、ありゃ」。「あ、あ、あら、如何《どう》するだンべか」なンか云って居る。
六畳の大広間には、新郎新婦相並んで正面赤毛布の上に座《すわ》って居る。結婚証書を三通|新婦《はなよめ》の兄者人に書いてもらって、新郎新婦をはじめ其|尊長達《そんちょうたち》、媒妁夫妻も署名した。これで結婚式は芽出度終った。小婢《こおんな》が茶を運んで来た。菓子が無いので、有り合せの梨《なし》を剥《む》き、数が無いので小さく切って、小楊枝《こようじ》を添《そ》えて出した。
四時過ぎお開きとなった。
媒妁《なかだち》の役目相済んだつもりで納まって居ると、神田《かんだ》の料理屋で披露の宴をするとの事で、連れて来られた車にのせられ、十台の車は静かな村を犇《ひし》めかして勢よく新宿に向った。新宿から電車でお茶の水に下り、某と云う料理店に案内された。
媒妁は滅多に公会祝儀の席なぞに出た事のない本当の野人《やじん》である。酒がはじまった。手をついたり、お辞儀《じぎ》をしたり、小むつかしい献酬《けんしゅう》の礼が盛に行われる。酒を呑まぬ媒妁は、ぽかんとして皆の酒を飲むのを眺めて居る。料理が出たが、菜食主義の彼は肉食をせぬ。腹は無闇《むやみ》に減る。新郎の母者人が「ドウカお吸物《すいもの》を」との挨拶《あいさつ》が無い前に、勝手に吸物《すいもの》椀《わん》の蓋をとって、鱚《きす》のムスビは残して松蕈《まつだけ》とミツバばかり食った。
九時過ぎやっとお開きになった。媒妁夫婦は一同に礼して、寿《じゅ》の字の風呂敷に包んだ引き物の鰹節籠《かつぶしかご》を二つ折詰《おりづめ》を二つもらって、車で送られてお茶の水停車場に往った。媒妁の家は菜食で、ダシにも昆布《こんぶ》を使って居るので、二つの鰹節包は二人の車夫にやった。車夫は眼を円《まる》くして居た。
新宿に下りると、雨が盛《さかん》に降って居る。夜も最早《もう》十時、甲
前へ
次へ
全342ページ中101ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 健次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング