、黒《くろ》鉢巻《はちまき》の経木《きょうぎ》真田《さなだ》の帽子を阿弥陀《あみだ》にかぶって、赤銅色《しゃくどういろ》の逞《たくま》しい腕に撚《より》をかけ、菅笠《すげがさ》若くは手拭で姉様冠《あねさまかぶ》りの若い女は赤襷《あかだすき》手甲《てっこう》がけ、腕で額の汗を拭き/\、くるり棒の調子を合わして、ドウ、ドウ、バッタ、バタ、時々《ときどき》群《むれ》の一人が「ヨウ」と勇《いさ》みを入れて、大地も挫《ひし》げと打下ろす。「お前《まえ》さんとならばヨウ、何処《どこ》までもウ、親を離れて彼世《あのよ》までもゥ」若《わか》い女の好い声《こえ》が歌う。「コラコラ」皆が囃《はや》す。禾場《うちば》の日はかん/\照って居る。くるり棒がぴかりと光る。若い男女の顔は、熟した桃の様に紅光《あかびか》って居る。空には白光りする岩雲《いわぐも》が堆《うずたか》く湧《わ》いて居る。
 七月中旬、梅雨《つゆ》があけると、真剣に暑くなる。明るい麦が取り去られて、田も畑も緑《みどり》に返える。然し其は春暮《しゅんぼ》の嫩《やわ》らかな緑では無い、日中は緑の焔《ほのお》を吐《は》く緑である。朝夕は蜩《ひぐらし》の声で涼しいが、昼間は油蝉《あぶらぜみ》の音の煎《い》りつく様に暑い。涼しい草屋《くさや》でも、九十度に上る日がある。家の内では大抵誰も裸体《はだか》である。畑ではズボラの武太さんは褌《ふんどし》一つで陸稲《おかぼ》のサクを切って居る。十五六日は、東京のお盆《ぼん》で、此処《ここ》其処に藪入姿《やぶいりすがた》の小さな白足袋があるく。甲州街道の馬車は、此等の小僧さんで満員である。

       八

 暴風にも静な中心がある。忙《せわ》しい農家の夏の戦闘《いくさ》にも休戦の期《き》がある。
 七月|末《すえ》か、八月初か、麦も仕舞《しま》い、草も一先ず取りしもうた程《ほど》よい頃を見はからって、月番から総郷上《そうごうあが》り正月のふれを出す。総郷業を休み足を洗うて上るの意である。其《その》期は三日。中日は村|総出《そうで》の草苅り路普請《みちぶしん》の日とする。右左から恣《ほしいまま》に公道を侵《おか》した雑草や雑木の枝を、一同|磨《と》ぎ耗《へ》らした鎌で遠慮|会釈《えしゃく》もなく切払う。人よく道を弘《ひろ》むを、文義《もんぎ》通りやるのである。慾張《よくばり》と名のある不人
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