搗《つ》きが細かで、上手《じょうず》に紅入の宝袋《たからぶくろ》なぞ拵《こさ》えてよこす。下田の金さん処《とこ》のは、餡《あん》は黒砂糖だが、手奇麗《てぎれい》で、小奇麗な蓋物《ふたもの》に入れてよこす。気取ったおかず婆さんからは、餡がお気に召すまいからと云って、唯搗き立てをちぎったまゝで一重《ひとじゅう》よこす。礼に往って見ると、奥《おく》は正月前らしく奇麗に掃《は》かれて、土間《どま》にはちゃんと塩鮭《しおざけ》の二枚もつるしてある。
二
二月は村の正月だ。松立てぬ家《うち》はあるとも、着物更えて長閑《のどか》に遊ばぬ人は無い。甲州街道は木戸八銭、十銭の芝居《しばい》が立つ。浪花節が入り込む。小学校で幻燈会《げんとうかい》がある。大きな天理教会、小さな耶蘇教会で、東京から人を呼んで説教会がある。府郡の技師が来て、農事講習会がある。節分は豆撒《まめま》き。七日が七草《ななくさ》。十一日が倉開き。十四日が左義長《さぎちょう》。古風にやる家も、手軽でやらぬ家もあるが、要するに年々昔は遠くなって行く。名物は秩父《ちちぶ》颪《おろし》の乾風《からっかぜ》と霜解《しもど》けだ。武蔵野は、雪は少ない。一尺の上も積るは稀《まれ》で、五日と消えぬは珍らしい。ある年四月に入って、二尺の余も積ったのは、季節からも、量からも、井伊《いい》掃部《かもん》さん以来の雪だ、と村の爺さん達も驚いた。武蔵野は霜《しも》の野だ。十二月から三月一ぱいは、夥《おびただ》しい霜解けで、草鞋か足駄《あしだ》長靴でなくては歩かれぬ。霜枯《しもが》れの武蔵野を乾風が※[#「風+(火/(火+火))」、第3水準1−94−8]々《ひゅうひゅう》と吹きまくる。霜と風とで、人間の手足も、土の皮膚《はだ》も、悉く皹《ひび》赤《あか》ぎれになる。乾いた畑の土は直ぐ塵《ちり》に化ける。風が吹くと、雲と舞い立つ。遠くから見れば正《まさ》に火事の煙だ。火事もよくある。乾き切った藁葺《わらぶき》の家は、此《この》上《うえ》も無い火事の燃料、それに竈《へっつい》も風呂も藁屑をぼう/\燃すのだからたまらぬ。火事の少ないのが寧《むしろ》不思議である。村々字々に消防はあるが、無論間に合う事じゃない。夜遊び帰りの誰かが火を見つけて、「おゝい、火事だよゥ」と呼わる。「火事だっさ、火事は何処《どこ》だンべか、――火事だよゥ」
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