ど》、其れ等に雨雪を凌《しの》ぐのは、乞食仲間でも威張《いば》った手合で、其様な栄耀《えいよう》が出来ぬやからは、村の堂宮《どうみや》、畑の中の肥料《こやし》小屋、止むなければ北をよけた崖《がけ》の下、雑木林の落葉の中に、焚火《たきび》を力にうと/\一夜を明《あか》すのだ。そこでよく火事が起る。彼が隣の墓地《ぼち》にはもと一寸した閻魔堂《えんまどう》があったが、彼が引越して来る少し前に乞食の焚火《たきび》から焼けて了うて、木の閻魔様は灰《はい》になり、石の奪衣婆《だつえば》ばかり焼け出されて、露天《ろてん》に片膝立てゝ恐《こわ》い顔をして居る。鎮守《ちんじゅ》八幡でも、乞食の火が険呑《けんのん》と云うので、つい去年拝殿に厳重な戸締りを設けて了うた。安さんの為に寝所《しんじょ》が一つ無くなったのである。それかあらぬか、近頃一向安さんの影を見かけなくなった。
「安さんは如何したろ?」
彼等はしば/\斯く噂《うわさ》をした。
昨日|婢《おんな》が突然安さんの死を報じた。近所の女児《むすめ》が斯く婢に云うたそうだ。
「安さんなァ、安さんな内のお安さんが死んだ些前《ちょっとまえ》に、は、死んじまったとよ」
近所のお安さんと云う娘が死んだのは、五月の初であったから、乞食の安さんは桜の花の頃に死んだものと見える。
安さんは大抵《たいてい》甲州街道南裏の稲荷《いなり》の宮に住んで居たそうだ。埋葬は高井戸でしたと云うが、如何《どん》な臨終《りんじゅう》であったやら。
「あれで中々女が好きでね、女なんかゞ一人で物を持って往ってやるといけないって、皆《みんな》が云ってました」
と婢が云うた。
安さんが死んだか。乞食の安さんが死んだか。
「死んで安心な様な、可哀想《かあいそう》な様な気もちがしますよ」
主婦が云うた。
秋の野にさす雲の翳《かげ》の様に、淡《あわ》い哀《かなしみ》がすうと主人《あるじ》の心を掠《かす》めて過ぎた。
[#改丁]
麦の穂稲穂
村の一年
一
都近い此《この》辺《へん》の村では、陽暦陰暦を折衷《せっちゅう》して一月|晩《おく》れで年中行事をやる。陽暦正月は村役場の正月、小学校の正月である。いさゝか神楽《かぐら》の心得ある若者連が、松の内の賑合《にぎわい》を見物かた/″\東京に獅子舞《ししまい》に出かけたり、甲州街道
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