には更《さら》に千鳥草《ちどりそう》の花がある。千鳥草、又の名は飛燕草。葉は人参の葉の其れに似て、花は千鳥か燕か鳥の飛ぶ様な状《さま》をして居る。園養《えんよう》のものには、白、桃色、また桃色に紫の縞《しま》のもあるが、野生の其《そ》れは濃碧色《のうへきしょく》に限られて居る様だ。濃碧が褪《うつろ》えば、菫色《すみれいろ》になり、紫になる。千鳥草と云えば、直ぐチタ[#「チタ」に二重傍線]の高原が眼に浮ぶ。其れは明治三十九年露西亜の帰途《かえり》だった。七月下旬、莫斯科《もすくわ》を立って、イルクツク[#「イルクツク」に二重傍線]で東清鉄道の客車に乗換え、莫斯科を立って十日目《とおかめ》にチタ[#「チタ」に二重傍線]を過ぎた。故国を去って唯四ヶ月、然しウラル[#「ウラル」に二重傍線]を東に越すと急に汽車がまどろかしくなる。イルクツク[#「イルクツク」に二重傍線]で乗換《のりか》えた汽車の中に支那人のボオイが居たのが嬉しかった。イルクツク[#「イルクツク」に二重傍線]から一駅毎に支那人を多く見た。チタ[#「チタ」に二重傍線]では殊《こと》に支那人が多く、満洲《まんしゅう》近い気もち十分《じゅうぶん》であった。バイカル[#「バイカル」に二重傍線]湖《こ》から一路上って来た汽車は、チタ[#「チタ」に二重傍線]から少し下りになった。下り坂の速力早く、好い気もちになって窓から覗《のぞ》いて居ると、空にはあらぬ地の上の濃い碧色《へきしょく》がさっと眼に映《うつ》った。野生千鳥草の花である。彼は頭を突出して見まわした。鉄路の左右、人気も無い荒寥《こうりょう》を極めた山坡に、見る眼も染むばかり濃碧《のうへき》の其花が、今を盛りに咲き誇ったり、やゝ老いて紫《むらさき》がかったり、まだ蕾《つぼ》んだり、何万何千数え切れぬ其花が汽車を迎えては送り、送りては迎えした。窓に凭《もた》れた彼は、気も遠くなる程其色に酔うたのであった。
然しながら碧色の草花の中で、彼はつゆ草の其れに優《ま》した美しい碧色を知らぬ。つゆ草、又の名はつき草、螢草《ほたるぐさ》、鴨跖草《おうせきそう》なぞ云って、草姿《そうし》は見るに足らず、唯二弁より成《な》る花は、全き花と云うよりも、いたずら子に※[#「手へん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》られたあまりの花の断片か、小さな小さな碧色の蝶《ちょう》の唯《ただ》
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