居ず、門にしまりもなかった。一家《いっか》総出《そうで》の時は、大戸を鎖《さ》して、ぬれ縁の柱に郵便箱をぶら下げ、
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○○行
夕方(若くは明午○)帰る
御用の御方は北隣《きたどなり》△△氏へ御申残しあれ
小包も同断
月日 氏名
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斯く張札《はりふだ》して置いた。稀には飼犬を縁先《えんさ》きの樫の木に繋《つな》いで置くこともあったが、多くは郵便箱に留守をさした。帰って見ると、郵便箱には郵便物の外、色々な名刺や鉛筆書きが入れてあったり、主人《しゅじん》が穿《は》きふるした薩摩下駄を物数寄《ものずき》にまだ真新《まあたら》しいのに穿きかえて行《い》く人なぞもあった。ノートを引きちぎって、斯様なものを書いたのもあった。
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君を尋ねて草鞋《わらぢ》で来れば
君は在《いま》さず唯犬ばかり
縁に腰かけ大きなあくび
中で時計が五時をうつ
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明治四十一年の新嘗祭の日であった。東京から親類の子供が遊びに来たので、例の通り戸をしめ、郵便箱をぶら下げ、玉川に遊びに往った。子供等は玉川から電車で帰り、主人夫妻は連れて往った隣家の女児《むすめ》と共に、つい其前々月もらって来た三歳の女児をのせた小児車《しょうにぐるま》を押して、星光を踏みつゝ野路《のじ》を二里くたびれ果てゝ帰宅した。
隣家の女児と門口で別れて、まだ大戸も開けぬ内、二三人の足音と車の響が門口に止まった。車夫が提灯の光に、丈高い男がぬっと入って来《き》た。つゞいて女が入って来た。
「僕が滝沢です、手紙を上げて置《お》きましたが……」
其様《そん》な手紙は未だ見なかったのである。来意《らいい》を聞けば、信州の者で、一晩《ひとばん》御厄介《ごやっかい》になりたいと云うのだ。主人は疲れて大にいやであったが、遠方から来たものを、と勉強して兎に角戸をあけて内に請《しょう》じた。吉祥寺《きちじょうじ》から来たと云う車夫は、柳行李《やなぎごうり》を置いて帰った。
二
ランプの明《あか》りで見れば、男は五分刈《ごぶがり》頭の二十五六、意地張らしい顔をして居る。女は少しふけて、おとなしい顔をして、丸髷《まるまげ》に結って居る。主人が渋い顔をして居るので、丸髷の婦人は急いで風呂敷包の土産物《みやげもの》を取出し主人夫妻《しゅじ
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