意地悪い犬が居た。坊ちゃんの白を一方《ひとかた》ならず妬み憎んで、顔さえ合わすと直ぐ咬《か》んだ。ある時、裏の方で烈《はげ》しい犬の噛み合う声がするので、出《で》て見ると、黒と白とが彼|天狗《てんぐ》犬《いぬ》を散々《さんざん》咬んで居た。元来平和な白は、卿《おまえ》が意地悪だからと云わんばかり恨《うら》めしげな情なげな泣き声をあげて、黒と共に天狗犬に向うて居る。聯合軍に噛まれて天狗犬は尾を捲き、獅子毛を逆立《さかだ》てゝ、甲州街道の方に敗走するのを、白の主人は心地よげに見送《みおく》った。
 其後白と黒との間に如何《どん》な黙契が出来たのか、白はあまり黒の来遊《らいゆう》を拒まなくなった。白を貰《もら》って来てくれた大工が、牛乳《ぎゅうにゅう》車《ぐるま》の空箱を白の寝床に買うて来てくれた。其白の寝床に黒が寝そべって、尻尾ばた/\箱の側をうって納《おさ》まって居ることもあった。界隈《かいわい》に野犬《やけん》が居て、あるいは一疋、ある時は二疋、稲妻《いなずま》強盗《ごうとう》の如く横行し、夜中鶏を喰ったり、豚を殺したりする。ある夜、白が今死にそうな悲鳴をあげた。雨戸《あまど》引きあけると、何ものか影の如く走《は》せ去《さ》った。白は後援を得てやっと威厳《いげん》を恢復し、二足三足あと追《おい》かけて叱《しか》る様に吠えた。野犬が肥え太った白を豚と思って喰いに来たのである。其様な事が二三度もつゞいた。其れで自衛の必要上白は黒と同盟を結んだものと見える。一夜《いちや》庭先《にわさき》で大騒ぎが起った。飛び起きて見ると、聯合軍は野犬二疋の来襲に遇うて、形勢頗る危殆《きたい》であった。
 白と黒は大の仲好《なかよし》になって、始終共に遊んだ。ある日近所の与右衛門《よえもん》さんが、一盃機嫌で談判《だんぱん》に来た。内の白と彼《かの》黒とがトチ狂うて、与右衛門の妹婿武太郎が畑《はたけ》の大豆を散々踏み荒したと云うのである。如何して呉《く》れるかと云う。仕方が無いから損害を二円払うた。其後黒の姿はこっきり見えなくなった。通りかゝりの武太《ぶた》さんに問うたら、与右衛門さんの懸合で、黒の持主の源さん家《とこ》では余儀なく作男《さくおとこ》に黒を殺させ、作男が殺して煮《に》て食うたと答えた。うまかったそうです、と武太さんは紅い齦《はぐき》を出してニタ/\笑った。
 ある日見知らぬ
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