ね」と云うと、「いいえ、年するとね」そう答えて一向に平気そうである。
店の番をしながら、暇をみて蕈を採る、採った蕈は中社まで持って帰り、あちらこちらの坊の厨房《くりや》にわけてやるのだと云った。
越後の海も一度見たいね、だがそれよりも孫が長野で教員をしているから、その方に行ってみたい、善光寺に行くには、余程朝早く立たないとね、そう云って話しかける。お婆さんのような丈夫な足なら、すぐ行かれるよと云うと、老婆はいかにも嬉しそうに相好を崩した。
私の宿った坊では、月夜の晩にはきまって蕎麦を打った。
蕎麦は更科と云うけれども、信州蕎麦のほんとに美味しいのはこの戸隠飯綱の原を中心とするあたりで、この地方に多い麻畑は刈りとってしまった後は、みんな蕎麦畑になるのである。
山の月をみるためには、畳を敷いた坊の廊下に、薄や吾木香が供えられた。
蕎麦を打つのは、家内総出であって、少年と雖ども心得ている。もっとも、少年少女の場合は、蕎麦打ちを手伝うひまに、こっそり蕎麦粉を盗んで、あたかも粘土細工のように牛や犬の動物を作ったり、鳥居をこさえたりするのが、楽しみなのである。蕎麦の玩具は戸隠の子供部屋
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