別れたる妻に送る手紙
近松秋江

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)風の音信《たより》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)砂|塵挨《ぼこり》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)屡※[#二の字点、1−2−22]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ずる/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 拝啓
 お前――別れて了ったから、もう私がお前と呼び掛ける権利は無い。それのみならず、風の音信《たより》に聞けば、お前はもう疾《とっく》に嫁《かたづ》いているらしくもある。もしそうだとすれば、お前はもう取返しの付かぬ人の妻だ。その人にこんな手紙を上げるのは、道理《すじみち》から言っても私が間違っている。けれど、私は、まだお前と呼ばずにはいられない。どうぞ此の手紙だけではお前と呼ばしてくれ。また斯様《こん》な手紙を送ったと知れたなら大変だ。私はもう何《ど》うでも可《い》いが、お前が、さぞ迷惑するであろうから申すまでもないが、読んで了ったら、直ぐ焼くなり、何うなりしてくれ。――お前が、私とは、つい眼と鼻との間の同じ小石川区内にいるとは知っているけれど、丁度今頃は何処に何うしているやら少しも分らない。けれども私は斯うして其の後のことをお前に知らせたい。いや聞いて貰いたい。お前の顔を見なくなってから、やがて七月《ななつき》になる。その間には、私には種々《いろん》なことがあった。
 一緒にいる時分は、ほんの些《ちょい》とした可笑《おかし》いことでも、悔《くや》しいことでも即座に打《ぶ》ちまけて何とか彼《かん》とか言って貰わねば気が済まなかったものだ。またその頃はお前の知っている通り、別段に変ったことさえなければ、国の母や兄とは、近年ほんの一月《ひとつき》に一度か、二月に三度ぐらいしか手紙の往復《やりとり》をしなかったものだが、去年の秋私一人になった当座は殆ど二日置きくらいに母と兄とに交る/″\手紙を遣った。
 けれども今、此処に打明けようと思うようなことは、母や兄には話されない。誰れにも話すことが出来ない。唯せめてお前にだけは聞いて貰いたい。――私は最後の半歳ほどは正直お前を恨んでいる。けれどもそれまでの私の仕打に就いては随分自分が好くなかった、ということを、十分に自身でも承知している。だから今話すことを聞いてくれたなら、お前の胸も幾許《いくら》か晴れよう。また私は、お前にそれを心のありったけ話し尽したならば、私の此の胸も透《す》くだろうと思う、そうでもしなければ私は本当に気でも狂《ふ》れるかも知れない。出来るならば、手紙でなく、お前に直《じか》に会って話したい。けれどもそれは出来ないことだ。それゆえ斯うして手紙を書いて送る。
 お前は大方忘れたろうが、私はよく覚えている。あれは去年の八月の末――二百十日の朝であった。お前は、
「もう話の着いているのに、あなたが、そう何時までも、のんべんぐらりと、ずる/\にしていては、皆《みんな》に、私が矢張《やっぱ》しあなたに未練があって、一緒にずる/\になっているように思われるのが辛い。少しは、あなただって人の迷惑ということも考えて下さい。いよいよ別れて了えば私は明日の日から自分で食うことを考えねばならぬ。……それを思えば、あなたは独身《ひとりみ》になれば、何うしようと、足纏いがなくなって結句気楽じゃありませんか。そうしている内にあなたはまた好きな奥さんなり、女なりありますよ。兎に角今日中に何処か下宿へ行って下さい。そうでなければ私が柳町の人達に何とも言いようがないから。」
 と言って催促するから、私は探しに行った。
 二百十日の蒸暑い風が口の中までジャリ/\するように砂|塵埃《ぼこり》を吹き捲って夏|劣《ま》けのした身体《からだ》は、唯歩くのさえ怠儀であった。矢来に一処《ひとところ》あったが、私は、主婦《おかみ》を案内に空間を見たけれど、仮令《たとい》何様《どん》な暮しをしようとも、これまで六年も七年も下宿屋の飯は食べないで来ているのに、これからまた以前《もと》の下宿生活に戻るのかと思ったら、私は、其の座敷の、夏季《なつ》の間《ま》に裏返したらしい畳のモジャ/\を見て今更に自分の身が浅間しくなった。それで、
「多分|明日《あす》から来るかも知れぬから。」
 と言って帰りは帰ったが、どう思うても急に他《ほか》へは行きたくなかった。というのは強《あなが》ちお前のお母《っか》さんの住んでいる家――お前の傍を去りたくなかったというのではない。それよりも斯うしていて自然に、心が変って行く日が来るまでは身体を動かすのが怠儀であったのだ。加之《それに》銭《かね》だって差当り入るだけ無いじゃないか。帰って来て、
「どうも可い宿《うち》はない。」というと、
「急にそう思うような宿は何《ど》うせ見付からない。松林館に行ったら屹度《きっと》あるかも知れぬ。彼処《あすこ》ならば知った宿だから可い。今晩一緒に行って見ましょう。」
 と言って、二人で聞きに行った。けれども其処には何様《どん》な室《へや》もなかった。其の途中で歩きながら私は最後に本気になって種々《いろいろ》と言って見たけれど、お前は、
「そりゃ、あの時分はあの時分のことだ。……私は先の時分にも四年も貧乏の苦労して、またあなたで七年も貧乏の苦労をした。私も最早《もう》貧乏には本当に飽き/\した。……仮令《たとい》月給の仕事があったって私は、文学者は嫌い。文学者なんて偉い人は私風情にはもったいない。私もよもや[#「よもや」に傍点]に引《ひか》されて、今にあなたが良くなるだろう、今に良くなるだろうと思っていても、何時まで経ってもよくならないのだもの。それにあなたぐらい猫の眼のように心の変る人は無い。一生当てにならない……。」
 斯う言った。そりゃ私も自分でも、そう偉い人間だとは思っていないけれども、お前に斯う言われて見れば、丁度色の黒い女が、お前は色が黒い、と言って一口にへこまされたような気がした。屡《よ》く以前、
「あなたは何彼《なにか》に就けて私をへこます。」と言い/\した。私は「あゝ済まぬ。」と思いながらも随分言いにくいことを屡※[#二の字点、1−2−22]言ってお前をこき[#「こき」に傍点]下《おろ》した。それを能く覚えている私には、あの時お前にそう言われても、何と言い返す言葉もなかった。それのみならず全く私はお前に満六年間、
「今日《きょう》は。」
 という想いを唯の一日だってさせなかった。それゆえそうなくってさえ何につけ自信の無い私は、その時から一層自分ほど詰らない人間は無いと思われた。何を考えても、何を見ても、何をしても白湯《さゆ》を飲むような気持もしなかった。……けれども、斯様なことを言うと、お前に何だか愚痴《ぐち》を言うように当る。私は此の手紙でお前に愚痴をいうつもりではなかった。愚痴は、もう止そう。
 兎に角、あの一緒に私の下宿を探しに行った晩、
「あなたがどうでも家にいれば、今日から私の方で、あなたのいる間、親類へでも何処へでも行っている。……奉公にでも行く。……好い縁《くち》があれば、明日でも嫁《かたづ》かねばならぬ。……同じ歳だって、女の三十四では今の内早く何うかせねば拾ってくれ手が無くなる。」と言うから、
「じゃ今夜だけは家にいて明日からいよ/\そうしたら好いじゃないか。そうしてくれ。」と私が頼むように言うと、
「そうすると、またあなたが因縁を付けるから……厭だ。」
「だって今夜だけ好いじゃないか。」
「じゃあなた、一足|前《さき》に帰っていらっしゃい。私柳町に一寸寄って後から行くから。」
 私は言うがまゝに、独り自家《うち》に戻って、遅くまで待っていたけれど、お前は遂に帰って来なかった。あれッきりお前は私の眼から姿を隠して了ったのだ。
 それから九月、十月、十一月と、三月の間、繰返さなくっても、後で聞いて知ってもいるだろうが、私は、お前のお母《っか》さんに御飯を炊いて貰った。お前も私の癖は好く知っている。お前の洗ってくれた茶碗でなければ、私は立って、わざ/\自分で洗い直しに行ったものだ。分けてもお前のお母《っか》さんと来たら不精で汚らしい、そのお母さんの炊いた御飯を、私は三月――三月といえば百日だ、私は百日の間辛抱して食っていた。
 お前達の方では、これまでの私の性分を好く知り抜いているから、あゝして置けば遂に堪らなくなって出て行くであろう、という量見《かんがえ》もあったのだろう。が私はまた、前《さき》にも言ったように、自然《ひとりで》に心が移って行くまで待たなければ、何うする気にもなれなかったのだ。
 それは老母《としより》の身体で、朝起きて見れば、遠い井戸から、雨が降ろうが何うしょうが、水も手桶に一杯は汲んで、ちゃんと縁側に置いてあった。顔を洗って座敷に戻れば、机の前に膳も据えてくれ、火鉢に火も入れて貰った。
 段々寒くなってからは、お前がした通りに、朝の焚き落しを安火《あんか》に入れて、寝ている裾から静《そっ》と入れてくれた。――私にはお前の居先きは判らぬ。またお母さんに聞いたって金輪際それを明す訳はないと思っているから、此方《こっち》からも聞こうともしなかったけれど、お母さんがお前の処に一寸々々《ちょいちょい》会いに行っているくらいは分っていた。それゆえ安火を入れるのだけは、「あの人は寒がり性だから、朝寝起きに安火を入れてあげておくれ。」とでもお前から言ったのだろうと思った。
 それでも何うも夜も落々《おちおち》眠られないし、朝だって習慣《くせ》になっていることが、がらりと様子が変って来たから寝覚めが好くない。以前|屡《よ》くお前に話し/\したことだが、朝|熟《よ》く寝入っていて知らぬ間に静《そっ》と音の立たぬように新聞を胸の上に載せて貰って、その何とも言えない朝らしい新らしい匂いで、何時とはなく眼の覚めた日ほど心持の好いことはない。まだ幼い時分に、母が目覚しを枕頭《まくらもと》に置いていて、「これッこれッ。」と呼び覚していたと同じような気がしていた。それが最早《もう》、まさか新聞まで寝入っている間《ま》に持って来て下さい、とは言われないし、仮令《たとい》そうして貰ったからとて、お前にして貰ったように、甘《うま》くしっくりと行かないと思ったから頼みもしなかった。が、時々|斯様《そん》なことを思って一つそうして貰って見ようかなどと寝床の中で考えては、ハッと私は何という馬鹿だろうと思って独りでに可笑くなって笑ったこともあったよ。
 で、新聞だけは自分で起きて取って来て、また寝ながら見たが、そうしたのでは唯字が眼に入るだけで、もう面白くも何ともありゃしない。……本当に新聞さえ沢山取っているばかりで碌々読む気はしなかった。
 それに、あの不愛想な人のことだから、何一つ私と世間話をしようじゃなし。――尤も新聞も面白くないくらいだから、そんなら誰れと世間話をしようという興も湧かなかったが――米だって悪い米だ。私はその、朝無闇に早く炊いて、私の起きる頃には、もう可い加減冷めてポロ/\になった御飯に茶をかけて流し込むようにして朝飯《あさめし》を済ました。――間食をしない私が、何様《どん》なに三度の食事を楽みにしていたか、お前がよく知っている。そうして独りでつくねんとして御飯を食べているのだと思って来るとむら/\と逆上《こみあ》げて来て果ては、膳も茶碗も霞んで了う。
 寝床だって暫時《しばらく》は起きたまゝで放って置く。床を畳む元気もないじゃないか。枕当の汚れたのだって、私が一々口を利いて何とかせねばならぬ。
 秋になってから始終《しょっちゅう》雨が降り続いた。あの古い家のことだから二所《ふたところ》も三所も雨が漏って、其処ら中にバケツや盥《たらい》を並べる。家賃はそれでも、十日ぐらい遅れることがあっても払ったが、幾許《いくら》直してくれと言っ
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